1.背景

原子力機構は大型放射光施設(SPring-8)において、様々な物性及び生命科学研究のための軟X線ビームライン(BL23SU)を開発・整備してきました(図1)。今回の研究成果は、このビームラインに設置されている生体試料の照射・測定研究のための専用装置を用いて行われたものです。放射線が生体に対して細胞致死や突然変異・発ガンを誘発することは良く知られていますが、その主要な原因のひとつがゲノムのDNA分子上に生じる化学変化(DNA損傷)であることが従来から指摘されています。そこで、もし放射線により特定の損傷を選択的にDNA分子中に誘発させることができれば、この分野の研究が大きく進展すると期待されています。一般に用いられる放射線はイオン化作用が大きく、様々なDNA損傷(図2)が同時に誘発されるため、損傷と生物学的な影響の因果関係の詳細な解析は困難とされていました。

図1

2.研究内容

本研究では、軟X線のエネルギーを選ぶことでDNA中の炭素、窒素及び酸素をそれぞれ選択的にイオン化し、この時に誘発される鎖切断タイプと塩基変異タイプの損傷のそれぞれの誘発頻度が変わるかどうかを探りました。DNA分子は主鎖骨格部位(糖とリン酸基)と遺伝情報を担う核酸塩基部位から構成されます。また、核酸塩基にはプリン塩基とピリミジン塩基が含まれます(図2)。DNAの二重らせんの両鎖が切断されると、細胞致死が高い頻度で起こるといわれています。一方、遺伝暗号を担う核酸塩基の損傷は、突然変異の主要な原因とされています。実験では、プラスミドと呼ばれる比較的構造が簡単なDNAの薄膜を作製しました。通常ではこのプラスミドDNA6)は、二重らせん構造がさらに捩れた「超らせん構造」をとります。このDNAの水溶液試料をガラスプレートの上に乗せて乾燥させ、厚み数マイクロメートルの薄膜試料を作製しました。この試料を真空チェンバー内に挿入し、分光器により炭素、窒素及び酸素のイオン化に必要なエネルギー7)に合わせた軟X線を照射しました(図1)。

図2

軟X線照射によりプラスミドDNAの二重らせんの片鎖の切断(1本鎖切断)が1ヶ所でも生じると、超らせん構造が解けて開環状構造になります(図3(a))。このDNAの立体構造変化は、ゲル電気泳動法8)により比較的容易に検出・定量することができるため(図3(b))、DNAの鎖切断の誘発頻度を極めて高感度で調べることができます。

図3

一方、核酸塩基の変異は、変異した塩基を鎖切断に変換する働きをもつ修復タンパク質9)との反応によって検出しました。(図4)。そこで、軟X線照射した時のDNA鎖切断と酵素反応によりさらに付加的に生じたDNA鎖切断との差から、核酸塩基の変異の誘発頻度を定量しました。本研究ではピリミジン塩基に生じた変異を鎖切断化するNthタンパク質とプリン塩基に生じた変異を鎖切断化するFpgタンパク質の2種類のタンパク質を用いました。

図4

実験により得られた3種類のDNA損傷の誘発頻度を示した結果を、図5に示します。照射した軟X線のエネルギーの違いにより、損傷の誘発頻度が大きく変化することが確認されました。炭素のイオン化のみが起こる380 eVの照射では、主として1本鎖切断が生じます。一方、酸素をイオン化させた場合(560 eV照射)、核酸塩基変異の誘発頻度が約3倍にもなりました。さらに酸素イオン化エネルギーを大きく超えた760 eVを照射した場合では、プリン塩基変異が減少し、鎖切断タイプとピリミジン塩基変異タイプが主に誘発されます(図6)。

一般にプリン塩基は正孔を、ピリミジン塩基は電子を引き付けやすい性質を持ち、それらの正孔や電子と核酸塩基との相互作用により各損傷を引き起こすことが知られています。また、鎖切断タイプの損傷は鎖中の糖部位の分解により誘発されます。軟X線のエネルギーの違いにより元素が選択的にイオン化され、その結果生じる正孔や電子の挙動や糖の分解のしやすさがイオン化された元素の種類に依存するため、3種類のタイプの誘発頻度の違いが現れました。このような性質を利用して、イオン化する元素を変えることで主要なDNA損傷の種類を選択することができます。

図5

図6

一般的に用いられるX線(〜200keV)やγ線(〜MeV)などの高いエネルギーの放射線と比較すると、今回用いた軟X線のエネルギー同士の差は極めて小さく(〜500eV)、僅かなエネルギーの違いがDNA損傷の種類の違いをもたらした例はこれまでありませんでした。今回の発見によりこれまでにない、新たなDNA操作技術への応用が期待されます。今後は軟X線吸収測定やラジカル観測など放射光を利用した様々な分光法を駆使して、DNA損傷の違いをもたらす物理的なメカニズムを解明していく予定です。

放射光実験は、大型放射光施設SPring-8の原子力機構専用ビームラインBL23SUの申請番号No. 2007A3822, 2007B3812, 2008A3813, 2008B3812の研究課題として行いました。本研究の一部は、科学研究費補助金「若手研究(B)」及び「基盤研究(B)」の採択課題として実施されました。


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