補足説明

背景:

金属の電気伝導の性質は、金属中を広く動き回って電気伝導を担う遍歴電子が決めています。一方、金属の磁性は、金属中の原子核近傍に局在する局在電子が決めています。今回の研究対象である金属はf電子系化合物5)と呼ばれる物質です。f電子系化合物では、元々局在電子としての性質を持っていたf電子5)が、電気伝導を担う遍歴電子と相互作用して混じり合うことにより、磁性だけではなく電気伝導を担う性質も持っていると考えられています。このため、電気伝導性と磁性が密接に関連し、通常の金属電子論からは予期できない複雑かつ多様な物性が発現します。例えばf電子系化合物で見られる重要な性質の一つとして、磁性と共存する超伝導が挙げられます。

f電子が遍歴電子と混じり合うことのもう一つの重要な効果は、電気伝導を担う電子の見かけ上の重さ(有効質量)が通常の金属の10〜1000倍にも大きく見える「重い電子」の発現です。これは、元々は局在電子であったf電子が「重い電子」に変容して遍歴するようになり、電気伝導を担う電子に参加するようになったと考えることができます。つまり、重い電子とは元の局在電子の性質を強く残しながら電気伝導を担う電子のことであり、伝導と磁性が絡み合う物性を決めているのは重い電子の性質です。

そこで、f電子系化合物の物性発現機構を理解するためには、f電子が持つ「二面性=遍歴/局在性」によって生み出された重い電子がどのように動くのかを、電子の運動量とエネルギーとの関係(バンド構造、並びにバンド構造から決定されるフェルミ面)として把握することが基本となります。電気伝導を担う電子によって形成されるフェルミ面の形状は、f電子の性質が局在から遍歴に変わる場合には、電気伝導を担う電子の数が元は局在電子で電気伝導を担っていなかったf電子の個数分だけ増加することに起因して、変化すると考えられます(図1)。ですから、フェルミ面形状の変化を実験的に観測すれば、f電子が遍歴しているか局在しているかを判定できることになります。

図1:遍歴電子と局在電子の関係の違いによりフェルミ面形状が変化することのイメージ:

実験:

共鳴角度分解光電子分光

角度分解光電子分光は、電気伝導を担う電子のバンド構造を直接的に観測することができる唯一の実験手法ですが、近年はフェルミ面を直接観測する実験手法としての重要性が広く認められてきています。特に放射光X線を励起光として利用した角度分解光電子分光は、そのエネルギー可変性を利用して三次元的なフェルミ面形状を調べることができるなど、通常の実験室で使われているX線源を使った実験では知り得ない詳細な情報が得られる非常に強力な実験手法です。また、軟X線領域のエネルギーを用いた光電子分光実験は、物質表面から出てくるシグナルの影響を抑えて、固体内部から出てきた電子を主として観測することで、得られた電子構造を物性と直接比較して議論できる利点があります。

今回の研究は、大型放射光施設SPring-8の原子力機構専用ビームラインBL23SUにおいて、見かけ上の質量が通常の100倍以上の重い電子を持つと考えられているCeRu2Si2(セリウム・ルテニウム2・シリコン2)化合物とその関連物質に対して軟X線領域での共鳴角度分解光電子分光実験を行って、Ce(セリウム)の4f電子の遍歴性の証拠となるバンド構造(図2)とフェルミ面の直接観測を試みたものです。今回行った共鳴角度分解光電子分光とは、放射光のエネルギー可変性を積極的に活用したもので、光のエネルギーをセリウムの3d内殻吸収が生じる値に合わせて角度分解光電子分光測定を行うことにより、4f電子からのシグナルを共鳴的に強めて、4f電子が強く関与したバンド構造やフェルミ面を選択的に観測したものです。

図2:LaRu2Si2とCeRu2Si2に対する角度分解光電子スペクトル:

共鳴を使って重い電子が作るフェルミ面を直接観測する

共鳴によりセリウム4f電子からのシグナルを選択的に強めることで、共鳴を使わない従来の角度分解光電子分光でははっきり見えなかった重い電子が作るフェルミ面を直接観測することに初めて成功しました(図3)。このことにより、共鳴領域の放射光励起光と非共鳴領域の放射光励起光の両方を使い、得られたスペクトルを比較することで、フェルミ面における4f電子の寄与を調べることができることがわかりました。このように光のエネルギーを様々に振った詳細なフェルミ面測定は、ビームラインBL23SUに設置された新型挿入光源によって光の強度が二倍になったことを活用した成果です。

図3: CeRu2Si2に対する非共鳴領域と共鳴領域とで測定した角度分解光電子スペクトルから得られたフェルミ面:

今回の研究で電気伝導の性質を特徴づけるフェルミ面を重い電子について観測できたことで、重い電子が示す電気伝導の金属ごとの性質の違いをフェルミ面の変化により追跡することができるようになりました。また、化合物の構成元素の一部を別の元素で置換することによって結晶格子の大きさを変え(「化学的に圧力をかけた」と考えることができる)、これに伴う電子状態の変化に応じてフェルミ面がどのように変化するかを共鳴角度分解光電子分光を使って調べることにも成功しました。

研究の波及効果:

本研究は、元々は局在電子としての性質を持っていたセリウム4f電子が化合物中で遍歴的性質を獲得し、重い電子として電気伝導を担っていることを実験から直接的に観測できた例であり、今後、様々なf電子系化合物においてf電子が遍歴的か局在的であるかを判定する手法として共鳴角度分解光電子分光実験を使うことが一般的になっていくと考えられます。また、重い電子が作るフェルミ面を観測できるようになったことから、今後は、様々なf電子系化合物に共鳴角度分解光電子分光実験を適用することで、超伝導や磁性を持つ状態がどのようなフェルミ面を示すかを系統的に明らかにしていくことが可能です。これにより磁性と共存する超伝導の発現機構の解明が大きく進展すると期待されます。

今後の課題:

f電子系化合物の超伝導は、磁性が発現する領域の境界付近で数多く見られています。そこで、まず重要となる課題は、系の磁気的性質が変わった時に重い電子が作るフェルミ面形状がどう変化するかを明らかにすることです。これは、共鳴角度分解光電子分光の温度依存性や元素置換依存性を詳細に調べることで達成できます。さらにその延長として、磁性発現境界付近でどのようなフェルミ面が見られる時に超伝導が発現するのかを系統的に明らかにしていきたいと考えています。

研究の役割分担、実験施設利用、資金援助について:

今回の研究では、国立大学法人東北大学が単結晶試料作成を行い、独立行政法人日本原子力研究開発機構(以下「原子力機構」という。)量子ビーム応用研究部門、国立大学法人東京大学及び学校法人京都産業大学が共同で放射光実験とその実験データの解析を行いました。

放射光実験は、大型放射光施設SPring-8の原子力機構専用ビームラインBL23SUの申請番号No. 2008A3822の研究課題として行いました。

本研究は文部科学省科学研究費補助金新学術領域研究「重い電子系の形成と秩序化」(No. 20102003)による援助を受けて行われました。


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