補足説明
 
研究の背景
 太陽系の惑星、衛星には氷の結晶が存在します。氷の結晶は、2,000気圧以下の圧力下では氷Iか氷XIとして存在しうるのですが、宇宙の氷が氷XIとして存在するか否かは、惑星の形成や生命の起源の謎とも関わる重要な問題だと考えられています。何故なら、氷XIは特別な力を持つ強誘電体だからです。
 強誘電体の氷は静電力を持ったり磁場を作ったりします。ここで、氷の強誘電性とは水分子の向きや水素の配置が揃っていることを意味します。蛇口から流れる水に帯電させたプラスティックの棒を近づけると、その水は棒に引き付けられますが、このとき水の中の水分子の向きは全体的に揃っているのです。この状態を瞬間的に止めて形を整えたのが強誘電体のイメージです。
 この話からもわかるように、静電力は宇宙を支配する重力に比べて大変大きな力です。従って、宇宙に存在する氷が静電力を持つ場合、その氷は様々な物体を著しく強い力で引き付けることになるのです。この概念は、宇宙で作用している主要な力に氷の電気的な力を付け加える必要があることを意味するのですが、これまで宇宙の至る所に氷の結晶が存在することは判明していたものの、それが強誘電体の氷XIである可能性を真剣に考えて、宇宙物理学の議論の遡上に載せるというアイデアはありませんでした。
 宇宙に強誘電体の氷が存在するか否かは天体観測で得られる赤外線スペクトルに氷XIの特徴が含まれているかどうかで判定できます。この判定の為に、氷XIの精密な赤外吸収スペクトルを実験室で測定することが必要なのですが、これまでは氷XIの作り方があまり詳しく知られていなかったこともあり、氷XIの観測上の特徴を理解するには至っておりませんでした。


研究の内容
 原子力機構では、次世代のビーム利用研究開発の一環として、先端的な中性子実験技術を開発しています。今回、水分子の向きや水素の配置に関する情報がわかる中性子回折のパターンを時間分割で測定することに成功しました。
 時間分割の測定とは、一つの回折パターンを短い時間で得て、それを繰り返すことです。この為には、高い強度の中性子源と高感度の中性子回折装置が必要です。日米協力協定を結んでいるオークリッジ国立研究所の高出力な原子炉(High Flux Isotope Reactor:HFIR)に、私たちはWide-Angle Neutron Diffractometer(WAND)という高感度の中性子回折装置(図1)を設置しており、これを用いることで一つの回折パターンを10分で測定することに成功しました。10分毎の測定を1週間連続で実施し、水素の配置が変化する様子を観察しました。
 また、原子力機構にはJRR-3という研究用原子炉があります。私たちは、そこにとても分解能の高い中性子回折装置(High Resolution Powder Diffractometer:HRPD、図2)を設置して様々な研究に利用しています。今回、HRPDを使って氷結晶の回折パターンを測定し、これまでで最も高いレベルの精密な構造解析に成功しました。
 その結果、ほんの少しだけ不純物を含ませた氷結晶(約5万個の水分子の中に水酸化カリウム分子が1個混ざったもの)の中に、非常に大きな(水分子3万個分の)氷XIが発生したことを示す構造的な証拠が得られました(図3)。







 とても少ない量の不純物でも大きな氷XIが出来る(1個の水酸化カリウムで水分子約3万個分の氷XIが出来た)ことは、水分子本来の性質によって氷が強誘電体に変化したことを意味します。不純物として加えた水酸化カリウムから生ずるOH-は、強誘電体への変化に要する時間を短縮させる触媒として作用します。一方、宇宙に存在する氷については、水分子H2Oだけの完璧な結晶体として存在することはあり得ず、水分子H2Oの欠陥として僅かながらもOH-が含まれていると考えるのが自然です。以上のことから、不純物を含まない氷でも、氷自体の欠陥により、時間をかけて氷Tから強誘電体の氷XIに変化することが予測されます。変化に要する時間は、これまでの研究の結果から1万年程度と推定されます。
 137億年と推定される宇宙の歴史から見て1万年はほんの一瞬です。従って、宇宙では、私たちが日常で目にする普通の氷とは異る強誘電性を有する特殊な氷が生成されていると考えられるのです。不純物を入れた氷の実験では57 K(-216℃)から66 K(-207℃)の温度範囲で強誘電性が発生し、その性質は72 K(-201℃)以下で維持されました。従って、57 Kから66 Kの温度範囲で1万年以上経過した経験があって、その後も72 K以下の温度で保たれていた宇宙の氷は強誘電体であると予測されます。冥王星はこの条件に合致するので、強誘電体の氷が存在すると予測しています。


成果の波及効果
 普通の氷は電気的に中性ですが、強誘電体の氷は静電力を持ったり磁場を作ったりします。将来、今回の提唱通りに宇宙に強誘電体の氷の存在が確認できたら、宇宙で粒子が凝集して惑星が形成される過程で、氷の塵が重力を凌駕する大きな力を持っていたと言えます。従って、強誘電体の氷が存在すると大きな天体が速く形成されることになりますが、このことは現在盛んに議論されている惑星形成の理論に一石を投じることになるでしょう。
 また、氷が他の分子を強く引き付けるということは、生命の起源物質が構成される確率も宇宙の氷の上なら高くなることを意味します。従って、氷の強誘電性は生命発生の謎の解明にも関わる問題です。このように、宇宙に強誘電体の氷を探すことは、惑星、生命、物質の基本に関わる重要な課題なのです
 望遠鏡で得られる宇宙の氷の赤外線スペクトルからその強誘電性を調べることは可能ですが、その為には、氷XIの振動スペクトルを実験室で測定してその特徴を理解することが必要です。私たちは、英国の加速器施設に設置されている日本製のMARI(真理)という中性子分光器を使って水分子の運動量とエネルギーの関係を詳しく測定しており、強誘電体の氷が波長13μm及び17μmに水素の振動を持つことも突き止めています。従って、本研究で存在を予測している天王星、海王星、冥王星の天体観測において、13μm及び17μmの波長に着目すれば強誘電体の氷が存在するかどうかがわかります。冥王星探査機(New Horizon)のプロジェクトを進めているマキノン教授は今年2月21日付のニューヨークタイムスの記事の中で、冥王星を観測している天文学者はすでに強誘電体の氷を見ているかもしれないが、まだ装置の感度が充分ではないので結論は出せていないと述べています。天体観測と探査技術の目覚しい発展から考えると、強誘電体の有無を天体観測で判別することが近い将来可能になるでしょう。

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