平成25年度原子力機構新入職員歓迎式 理事長訓示

平成25年4月1日

皆さん、おはようございます。この度は、縁あって、原子力機構の仲間に加わっていただき、ありがとうございます。組織の発展には、新しい人材の投入による新鮮な活力の注入が不可欠です。夢と希望に満ちた、新進気鋭の皆さん方を、わが独立行政法人日本原子力研究開発機構にお迎えすることができたことは、我々にとってこれほどありがたく心強いことはありません。役職員一同、心から皆さん方を歓迎します。

機構のように、研究開発を目的とする組織において、この若い血の注入がもつ意味は非常に重要です。昔から、科学的大発見や革新的技術の創造は、それぞれの研究者や技術者の初期の頃の業績にその源があることが多いと言われています。それは、若さの特権である斬新な発想によるものだと、私は考えています。

皆さんは、それぞれに、大いなる期待感をもって、ここに参列してくれていることと推察しますが、職場の方でも、未知の、無限の可能性を秘めた新戦力として、皆さんに対しまことに大きな期待を抱いています。お互いの想いがマッチし、まさに肝胆相照らしつつ、新たな研究開発成果が生まれることを願っています。

当機構では、原子力や放射線、量子ビームにかかわる基礎基盤的分野から核分裂や核融合反応のエネルギー利用にかかわる大型プロジェクト的分野まで、きわめて広い領域にまたがる科学技術の研究開発に取り組んでおり、そのために、加速器や原子炉など、多種多様な大型施設を利用するとともに、当然のことながら、安全問題や環境問題などの課題にも、原子力に係るわが国で唯一の総合的研究開発機関として、その科学的解決に向け中核的な役割を果たしています。皆さんの多くは、これら分野のいずれかに配属されると思いますが、どれも機構にとっては重要な課題であり、皆さんにとっても遣り甲斐のある研究開発テーマだと信じています。

職場の雰囲気に馴染みつつ、わからないことがあれば、遠慮なく先輩に教えを乞うなどして、皆さん自身、早くそのように実感されることを祈っています。

さて、一昨年、3月11日に発生した東日本大震災の影響はまことに甚大です。震災後2年以上経った今、なお、被災地では深刻な状況が続いています。災厄によってお亡くなりになった方々のご冥福を皆さんとともにお祈りし、また、避難され心労の絶えない毎日を過ごされていらっしゃる多くの方々に、皆さんとともに、心よりお見舞いを申し上げたいとおもいます。

この震災により、福島第一原子力発電所は、原子炉の炉心が溶融する過酷事故という、起きてはならない大事故を起こしました。現在、発電所サイト外地域の除染活動等による環境修復とともに、将来の原子炉解体を見据えたサイト内施設の安全管理など、事故からの復興に向け、国を挙げて全力で取り組んでいます。当機構も、サイト外の環境放射能の測定や除染、サイト内の廃止措置技術に関する協力研究などを行ってきましたが、今後、その技術協力にますます加速的かつ重点的に取り組むことになりそうです。

私は、我々、原子力研究開発に関わる者として、この事故の意味するところを深く噛みしめ、人間社会にとって原子力とは何かをあらためて問い直す必要があるようにおもいます。その点に関するわたしの思いは、一言でいえば、自然災害、自然現象に対して、我々、原子力に携わる者たちは、とくに謙虚でなければならないということだとおもいます。人間がこの地球上に暮らして行くにあたっては、人のおごりや過信は決して許されないことを、今回の事故はあらためて教えています。

事故の発端は、500キロにも及ぶ長さの海底の断層活動に起因する大津波が発電所を襲ったことにありました。ほぼ同時に同じような規模の津波の襲来を受けても、福島第一以外の原子力発電所では、炉心溶融という深刻な事態にはならなかったことから、あの規模の津波に対して原子力発電所はすべて無力だったというわけではありません。なぜ、福島第一だけが、しかも、同じ第一でも、5,6号機が助かったのに、1から4号機が助からなかったのか、これについては、皆さん自身、それぞれがよく考えてほしいとおもいます。

私が、ここで強調したいことは、地震や津波の専門家が誰しも想定していなかった事象が発生し、それが炉心溶融という、起きてはならない原子力事故を招来したという事実に我々は正面から向き合わなければならない、という点です。

科学技術、とくに、たとえば、鉄道や船舶、航空機などの交通手段や、石炭や石油、ガスの化学工業、など、安全性がとくに重要な技術分野の変遷を見ると、当初は、主として技術そのものが未熟であったために事故が起きていましたが、その後、それを運転管理する人との関係、いわゆるマン・マシン系としてのヒューマンエラーに起因する事故、さらには、企業単位など、組織の問題、すなわち組織文化や安全文化の欠陥に由来する事故が多く起きるようになりました。原子炉事故について言えば、TMI事故は第2のヒューマンエラーに因る事故、チェルノブイリ事故は第3の組織文化の欠陥に因る事故として分類できそうです。

しかしながら、今回の福島第一事故は、専門家の知識や知見からは想像できないほどの巨大津波に原因するものであり、これまでとは異質の新たな種類の事故と理解すべきであるように、私は感じています。専門家の予見性を超えていたことから、設計や運転管理に際してもそれに対する十分な考慮や準備がされていませんでした。原子炉の設計では、トラブルや故障などの異常事態を想定して、それが事故に拡大しないような防護系を備えるようにするとともに、さらに念のために、それ以上の事態を敢えて想定してそれでも深刻な大事故には至らないような手段を講じていたはずでした。

今回の事故は、福島第一に関する限り、この設計の基本方針を逸脱する事故、すなわち、さらに念のために想定した異常事態を超える自然事象が発生したことを意味しています。このように設計の基本方針を逸脱する事象の発生の可能性を我々はどのように考えるべきかという問題を、今回の事故は提起しています。これに対する直接的答えのヒントは、少なくとも一部は、同様の規模の津波に対して大事故に至らなかった福島第二や女川の原子力発電所、さらには東海第二原子力発電所にあると、私は考えています。しかし、それだけでは、不十分でしょう。科学的知識とその予見性にもとづく技術の社会的成立性という、科学技術に係る根本的な問題を、今回の事故は示唆しているように思うからです。

実は、このような新次元の事故や安全性への取り組みの必要性は、自然災害による社会インフラの破壊や9.11に象徴されるテロ行為の社会的脅威などが顕著に増大している近年、国際的にも広く認識されています。安全工学やリスク管理を専門とする学界の中には、技術や技術システムの安全確保は、それが何らかの理由で損壊した場合に対する回復力も含めた概念として定義すべきだとする考え方を提唱するグループがあり、注目されています。彼らは、その考え方をResilience Engineeringと呼んでいます。

辞書によれば、Resilienceとは弾力性や回復力と訳されているようです。Resilience Engineeringを唱えている、ある人たちは、それは、Resistance、外乱に対する抵抗力とともにRecovery,外乱によって機能が喪失した場合の回復力を含む概念であると説明しています。

私にとってもっとしっくりくるのは、日本人のことをもっともResilientな国民だと海外の人たちが評する場合です。広島・長崎の惨状から立ち上がり戦後復興を見事に成し遂げたことや、阪神淡路大震災において決してパニックにならず、国民一人ひとりが力を合わせる機運が自然発生的に醸成される様は、彼らには奇跡に感じるほどの驚きのようです。今回の事故に際しても、稀有なResilienceという優れた国民性によってこの国難をきっと克服できると、多くの友人が私にも励ましのメールをくれました。

私は、この日本的特質にこそ、我々がこれから成すべきことに関するヒントが隠されているようにおもいます。すなわち、大原子炉事故が発生したという事実に正面から立ち向かい、その文字通りの終息に向けた国の計画に積極的に参加するとともに、事故の教訓を生かし、自然災害や人為的外乱に対してより強靭な原子力技術ないし技術システムを新たに研究開発することが、当機構の使命だと思うのです。単に原状に復帰するだけではなく、社会的許容性のより高い技術に進化させる責務が当機構にはあるようにおもいます。

原子力分野においてResilience Engineeringの意図すべきところを私なりに勝手に解釈すれば、ResistanceとRecoveryに加えて、より強靭なシステムへの進化、Evolutionを含むコンセプトであるべきだと思います。事故の終息や汚染環境の修復に直接的に関連する分野ばかりでなく、安全に係る基礎基盤的研究、中性子科学や素粒子科学と量子ビーム技術の応用研究、原子炉や加速器による核変換技術の開発研究、核不拡散・核セキュリティとバックエンドを含むもんじゅや核燃料サイクルに係る技術開発研究、さらには究極的エネルギー技術としての核融合開発研究、など、機構が取り組むすべての研究開発分野は、このEvolution概念を包摂するResilienceのための科学技術という脈絡の下で進めるべきではないかと、私は考えています。

これらの中には、答えの存在が保証されていない難しい課題が突き付けられているものも少なくありません。我々は、しかし、逃げるわけには行きません。そのような難題も、新たに仲間に加わってくれる皆さんと心を一つに力を合わせていけば、きっと展望は拓けてくると、私は確信しています。機構の職員が果たすべき使命には明らかにこれまでとは異次元の内容が含まれています。そのことを、私は、この新入職員歓迎式の場で、強調しておきたいと思います。

皆さんがこれからの仕事に大いに遣り甲斐を感じられ、職場の仲間たちと一緒に素晴らしい成果を出されることを祈念して、祝辞とします。


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