平成23年度原子力機構入社式 理事長訓示

平成23年4月20日

組織の発展には、新しい人材の投入による斬新な活力の注入が不可欠であります。夢と希望に満ち、無限の可能性を秘めた新進気鋭の皆さん方を、わが独立行政法人日本原子力研究開発機構にお迎えすることができたことは、私どもにとってこれほどありがたく心強いことはありません。役職員一同、心から皆さん方を歓迎するところであります。

今年の入社式は、例年と少しちがった形になりました。申し上げるまでもなく、3月11日に発生した東日本大震災を受けてのことであります。はじめに、皆さんとともに、震災によってお亡くなりになられました方々のご冥福をお祈り申し上げたいとおもいます。また、被災され、今なお途方に暮れる毎日を過ごされていらっしゃる多くの方々に心よりお見舞いを申し上げたいとおもいます。

今回の地震については、原子力機構でも東海村の本部を始め、茨城県内の研究開発拠点において、少なからぬ施設、設備が損傷するなど、甚大な被害を受けましたが、地震発生が午後の勤務時間中だったにもかかわらず、誰一人としてこれといった怪我をすることなく、無事だったことは幸いでした。

しかし、この震災により、東京電力福島第一原子力発電所は極めて深刻な事態に遭遇しています。東京電力はもとより、その協力会社、政府関係各省庁、自治体等が緊密な連携を図りつつ、一日も早い事態の終息に向け、国を挙げて全力で取り組んでいます。当機構も、現地での環境放射能の測定、放出放射能の環境評価に関するシミュレーション解析など、出来得る限りの協力と支援を行っているところです。

この事故により、周辺地域の方々をはじめ国民の皆さまに、大変なご心配、ご心労、ご不便、ご迷惑をおかけし、原子力について拭いがたい不安感を与えることとなってしまいましたことは、返す返す無念であり、私のように長年、原子力に携わってきた者にとって痛恨の極みであります。

我々、原子力関係者は、この事故の意味するところを深く噛みしめ、人類社会にとって原子力という科学技術のもつ意味とは何かをあらためて問い直す必要があるようにおもいます。その点に関するわたしの思いは、いずれお話する機会があるかと思いますが、我々がまず学ぶべきは、自然災害、自然現象に対して、我々、原子力に携わる者たちは、とくに謙虚でなければならないということだと思います。人間がこの地球上に暮らして行くにあたっては、人のおごりや過信は決して許されないことを、これほど厳しい形で教えられるとは、誰が想像していたでしょうか。

原子力に対する人々の見方は、国内的にも国際的にもこの事故によって大きく変わるかもしれません。その変化を、我々は、虚心坦懐に受け容れることから始めなければなりません。原子力は、これまで、社会的に特別視されていました。どちらかというと恵まれていたかもしれません。その立場からすれば、この変化は、過去に全く経験したことがない窮地であり、原子力界にとっては新たな大きな挑戦になるのだと、感じています。

この試練を乗り越えて行くには、原子力に対する社会的ご批判をむしろバネにして新たな道を切り拓くほどの忍耐と気力、そして創造力が必要であることを、きょうのこの機会にお願いしておきたいとおもいます。折角のお祝いの場ですから、明るい未来を展望するのが普通かもしれませんが、あえてそのような説教じみたお話をせざるを得ないことをお許しください。

人は、自然現象や自然災害に謙虚でなければならないと、先ほど申しました。人が謙虚でなければならないのは、実は、そればかりでなく、外の人や社会に対してもではないかと、私はかねがね感じています。なぜなら、自らが独りで考えることやその能力には自ずと限界があり、その限界を超えるためには、外の人や社会に謙虚に学ぶこと、そのための外部との関係や外的な刺激や影響が欠かせないからです。

人間の思考過程とその限界を超える方法を研究し、人工知能に関する先駆的業績により計算機科学分野の最高の賞であるチューリング賞を受賞するとともに、組織内の意思決定問題としての、その重要性を初めて明らかにしたことでノーベル経済学賞を受賞したという、文字通り稀有な人がいます。ハーバート・サイモンという人です。

人の行動や意思決定は絶対的なものはない、むしろ周囲の状況や環境の変化に応じて柔軟に適応できなければならないことを、彼は主張しています。これだけでは、ごく当たり前に聞こえるかもしれませんが、実際に実行するとなると容易ではないようです。

たとえば、物事が順調に進んでいれば、人はその状態を維持することを中心に考え、周囲の状況の変化に気付かないことがあるようです。あるいは、その変化が順調である自分にとって不利であると、変化自体を無視しようとすることがあります。これは、人のいわば性(サガ)にちかいもので、残念ながら多かれ少なかれ、すべての人に備わっている習性のようです。人が人であるが故の弱さと言ってもいいかもしれません。

人の思考過程にみられる、この本源的ともおもわれる限界を超えることの重要性を、サイモンは指摘し、その解決策を提示しました。それは周囲の社会環境との相互依存関係の活用です。人の思考は、自分自身一人で考えるよりも、周囲の人や社会などの考えとの遣り取りを通じて考える方が本質的に優れていることを明らかにしました。これは、人の集団である組織にも言えることで、組織の考えや意思決定は、外部の社会環境との相互作用によりはじめて、より好ましく進化することを理論的に説明しつつ、そのためには、個々の人の意識や考えに専ら依拠する精神論ではなく、人の弱さをむしろ許容し補完するように、社会との関係が組織内に構造的に組み込まれている必要があることを、彼は説きました。彼の業績が、経営学や組織論、さらには認識科学の分野において、今なお高い評価を得ている所以です。

わたしは、このことを、原子力について、長年、考えてきました。原子力は絶対的な存在ではありません。これは、一種の組織ともみなしうる原子力界の考えがいつも正しいとは限らないことと同義です。原子力の存在価値は、周囲の社会や環境に明らかに依存しています。周囲の社会や環境が変化する以上、原子力の存在理由も変化せざるをえません。今、我々の前に現出している状況は、まさに、そのような大きな状況の変化であります。我々は、この変化を真摯に受けとめ、それに適応する必要があります。サイモンによれば、適応することによって我々は進化する可能性があります。それにより、原子力の新たな方向性が見えてくる可能性があります。

その適応の仕方は、わたしの考えでは、受け身であってはならないとおもいます。周囲の状況変化との相互作用とは、その方向は周囲から我々の方に一方的に作用するのではなく、我々の方から周囲に向かう作用ベクトルもあるからです。むしろ、我々側からのベクトルの方が影響は大きいように思います。言いかえれば、この難局における社会の原子力に対する眼は、我々が今、何をするかによって大いに変わるようにおもいます。

すなわち、今、我々、機構に問われていることは、この苦境を乗り越えるために何ができるか、を、我々自らが提案し、実行することです。何か頼まれたことを行うだけでは不十分でしょう。少なくても、周囲の人たちはそれでは不十分と感じているのではないでしょうか。

我々は、今、この認識に立ち、機構を挙げて、取り組もうとしています。幸い、機構には、長年の蓄積があります。一流の専門家が多数います。この貴重な知見、経験、資源をできるだけ活用し、現場や現地で、日々、必死になって取り組んでいる人々に思いをいたしつつ、少しでも役に立ちたいと考えているところです。このような事態は、皆さんが当機構に就職を志望された頃には、想像もつかなかったことだとおもいます。しかし、皆さんは、我々のいわば同志として、この認識を共有し、一緒になって協力してくれることと信じています。

このような大きな状況の変化があるときこそ、適応能力が問われています。状況変化が顕在化していなければ、適応能力を発揮しようとしても、空回りに終わり実現しないことが、現実にはしばしばみられます。むしろ、実際には、その方がほとんどであると言っていいでしょう。

しかし、現下の状況はあきらかにちがいます。我々が社会に向けて何を発信できるかが今ほど求められているときはないでしょう。皆さんは、機構に対する社会の眼がまことに厳しい中に入ってこられました。それをいわば梃子に、次の飛躍を目指しましょう、ということを、私は、きょうのこの日にお願いしておきたいとおもいます。みなさんの前途、そして機構の将来は、皆さん自身が握っていると言っても過言ではありません。

皆さんの将来が明るく充実したものとなることを祈念して、祝辞にかえさせていただきます。

以上


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