核不拡散ニュース No.0113 2009.01.30
<ジョセフ・ナイ氏の講演>
【概要】
昨年12月9日、イタリア外務省及び米国ブルッキングス研究所の共催により、在米イタリア大使館にて「1970年代と今日における原子力エネルギーと不拡散のトレードオフ」と題するイベントが開催された。同イベントでは、1970年代後半にカーター政権下で核不拡散政策を主導したハーバード大学ジョセフ・ナイ特別名誉教授が、現在の原子力ルネッサンスと呼ばれる状況を1970年代になぞらえて講演した。以下にその概要を紹介する。
なお、ナイ教授はオバマ政権下で駐日大使に就任する見通しである。
- 原子力の平和的側面と破壊的側面の違いは、物理学に関係するものではなく政治に起因するものである。我々は平和的側面と破壊的側面を区別するための核不拡散という防壁(barriers)をどのように構築するかという問題を過去半世紀にわたって試みている。
- 今日我々が直面している問題は、1970年代の状況と類似している。温暖化問題やテロリズムが今日的問題のようにとり挙げられるが、1970年代から続く問題であって、今日ではそれが如実に顕在化しているのである。
- 1974年から75年にかけ、1)インドの平和的核爆発、2)石油の禁輸措置、3)初期の原子力ルネッサンスとも言えるフランスによるパキスタンへの再処理工場売却及びドイツによるブラジルへの濃縮工場売却、という3つの事件は、平和的側面と破壊的側面の間の政治的・制度的な核不拡散という防壁が機能していないのではないかと不安を呼び起こすこととなった。
- 石油危機が生じた際、ウラン資源の枯渇も予想されており、エネルギー安全保障の観点から、プルトニウム利用がウラン不足の際の解決策という考えを生んだ。その結果、MOX燃料利用が拡大し、IAEA等の機関に大きな負荷を課すことになるという恐れが生じた。
- 1978年にウラン協会で行ったスピーチの中で、私はエネルギー安全保障に対する主たる解決策は、適正な価格変動及び再生可能エネルギーと原子力を含む技術開発であると述べた。原子力を継続するのであれば、政府は安全な立地、長期的な廃棄物管理、核不拡散という問題に効率的に対処することが可能であることを国民に示さなければならない。
- 60年代に構築された核不拡散の防壁は、70年代に崩壊の危機を迎えたものの、それを回避できた。80年代になると、1)旧ソ連のアフガニスタン侵攻による政策上の核不拡散のプライオリティの低下、2)TMI事故やチェルノブイリ事故による原子力のコストの上昇、3)石油価格の低下、によって(核不拡散に関して)進展は見られなかった。
- しかし、1990年代には南アフリカ、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンが核兵器を放棄し、ブラジル及びアルゼンチンが核兵器開発計画を止め、湾岸戦争後にIAEAはイラクの核兵器開発計画を効果的に解体するなどの進展があった。
- 今日、北朝鮮やイラン、A.Q.カーンと彼のネットワークによる拡散を鑑みるに、核不拡散レジームは脅威にさらされている。
- 原子力発電が世界的に拡大するにつれ、多くの国が自前の濃縮及び再処理工場を希望する可能性がある。
- 核不拡散体制を修復するために我々にできることは山積している。CTBT批准や米露の核兵器削減など、NPT第6条注1について従来以上に履行できるはずである。原子力平和利用と不拡散のトレードオフになると、その中心であるNPT第4条注2に焦点を当てる必要がある。
- 原子力発電の拡大に比して機微な施設が拡散するような事態を招かぬよう、燃料供給保証のような枠組みを構築することが最優先である。
- 再処理が廃棄物問題を解決するかどうかについては確信が持てない。原子力は気候変動問題に役立つが、解決策にはならない。よって、気候変動問題を解決できると思って核不拡散の分野でトレードオフをしてはならない。
- 原子力の開発継続には十分な理由があるが、核不拡散の枠組みの範囲内で進めるべきである。その意味で、国際燃料バンクの設立やワンススルーサイクルを維持することにより、NPT第4条の抜け穴を埋める必要がある。
- 最後に、我々が今日直面している世界で原子力の平和的側面と破壊的側面の両面をバランスよく保つため、以下を指摘する。
- 原子力発電が気候問題を解決するというような錯覚を捨てること
- 70年代までに核兵器が25カ国に増加するとケネディ大統領が予想した数字と比較すると、核兵器国が9カ国という現状は必ずしも悪い数字ではなく、過度な悲観論を避けること
- NPTの抜け穴を修復するため燃料バンクや国際的な燃料供給保証体制のような制度革新を行うこと
- 外交政策として核不拡散に高いプライオリティを置き、維持すること
- 不拡散政策は原子力政策と部分的に関連しているが、安全保障、効果的な外交、安定維持、地域の危機管理などが核不拡散レジームを維持する上で重要であることを忘れないこと
講演後、締結された米印原子力協力協定が核不拡散にどのような影響を与えるかについて聴衆から質問され、同教授は、米印原子力協力協定は他の外交目的を達成するために核不拡散を犠牲にした明白な事例である旨述べた。また、同協定は核不拡散にとって若干の損失はあるものの、この問題をもっと上手く扱っていたら、損失は今より少なかったかもしれない、との見解も示した。
注1)締約国による核軍縮交渉義務に関する規定。【主な内容】締約国は、核軍縮のために誠実に交渉を行う。
注2)締約国の原子力平和利用の権利に関する規定。【主な内容】本条約は、全ての締約国の原子力の平和利用のための権利に影響を及ぼすものではなく、全ての締約国は、原子力の平和利用のため、設備、資材及び情報の交換を容易にすることを約束し、その交換に参加する権利を有する。
【解説】
ナイ教授は、現在の核不拡散体制が侵食されつつあるという懸念を生み出している状況を1970年代のそれになぞらえ、類似しているとの見解を示した。1970年代後半から1980年代にかけては、国際核燃料サイクル評価(INFCE)の影響を受けて国際プルトニウム貯蔵、燃料供給保証、国際使用済燃料管理などが検討された時期であり、ナイ氏が述べたように、今日でいう国際核燃料バンク構想の検討と同様の状況が存在した。
ナイ教授は、ワンススルーの維持を主張していることから、再処理について否定的な立場であると言える。また、温暖化問題等に対する原子力発電の有用性をある程度認めているものの、全体のトーンとしては原子力発電が温暖化問題の解決策であるかのように原子力発電の拡大を進めることには否定的で、そのような過度な拡大は濃縮及び機微技術の拡散につながると警鐘を鳴らしている。
また、米印原子力協力協定に対しても、具体的な方策については言及しなかったものの、やり方によってはもっと核不拡散上の損失を小さくできたかもしれないと評価しており、ブッシュ前政権時代の手法をかなり否定的に見ている点が、特徴的である。1977年から1979年、米国カーター政権下で国務次官補代理(安全保障支援・科学技術担当)として核不拡散政策を主導し、東海再処理工場を運転する際にも米国政府の一人として日本と関わりを持ち、クリントン政権下で国防次官補(国家安全保障問題担当)を務めた経験を有する同教授は、オバマ政権下で駐日大使に就任する見通しである。ナイ駐日大使の誕生によって即座に我が国の原子力政策に何らかの影響が及ぶとは考えにくい。しかし、プルトニウム利用や米印原子力協力協定に対する否定的な見解は、民主党の伝統的な核不拡散に対する考え方を反映していると考えられる。他方で民主党の中でも原子力平和利用・核不拡散や米印原子力協力に対してより現実的な立場をする人もおり、今後、米国の原子力・核不拡散に関する人選や政策の動向には十分注視する必要がある。
なお、ナイ教授の講演は、2009年G8サミットで議長を務めるイタリア政府の準備の一環として組まれたものである。20年以上原子力計画を停止してきたイタリア政府は、2008年5月、新規原子炉を建設する旨発表しており、G8サミットにおいても原子力・核不拡散の問題で議長国としてイニシアティブを取ることが期待される。
(参考)
【解説:政策調査室 大塚】