走査トンネル顕微鏡による電子軌道秩序の直接観察
—物質表面に現れる新たな秩序の発見—

発表者:

吉田靖雄(東京大学物性研究所ナノスケール物性研究部門 助教)

Howon Kim(東京大学物性研究所ナノスケール物性研究部門 特任研究員(当時)/ 現 ハンブルク大学物理学科 博士研究員)

芳賀芳範(国立研究開発法人日本原子力研究開発機構 先端基礎研究センター 研究主幹)

Chi-Cheng Lee (国立シンガポール大学 グラフェン研究センター 博士研究員(当時)/ 現 東京大学物性研究所 特任研究員)

Hsin Lin(国立シンガポール大学 グラフェン研究センター 教授)

Zachary Fisk (カリフォルニア大学栄誉教授)

長谷川幸雄(東京大学物性研究所ナノスケール物性研究部門 准教授)

発表のポイント:

発表概要:

東京大学物性研究所(所長 瀧川仁)の吉田靖雄助教、Howon Kim特任研究員、長谷川幸雄准教授の研究グループは、日本原子力研究開発機構、カリフォルニア大学、国立シンガポール大学、台湾国立清華大学等のグループと協力して、走査トンネル顕微鏡(STM、注1)を用いて、重い電子(注2)系超伝導体CeCoIn5の表面を調べました。STMの探針を極限まで物質最表面に近づけ、試料探針間の距離を原子スケール以下で精緻に制御したところ、原子の形状の下に隠れていた3d電子軌道(注3)を選択的に可視化することに成功しました。そして、可視化された3d電子軌道が隣同士で交互に向きを変えて並んでいる秩序状態を発見しました。

実験結果の詳細な解析と第一原理計算(注4)により、本秩序状態は、物質表面において増強された電子間クーロン斥力によって引き起こされた現象であることを明らかにしました。同様の軌道秩序は、様々な物質表面で起こることが予想されますが、表面のごく近傍のみの電子軌道状態を調べる手法がなかったために、これまで見落とされていた現象です。

また、電子軌道の秩序状態は、これまで間接的な観察しか行われていませんでしたが、本研究で初めて実空間での直接観察に成功している点も特筆すべき点です。

さらに、今回発見された軌道秩序は、超伝導と共存していることから、電子同士の相互作用が織りなす様々な物理現象と深く関わっている可能性を含んでいます。今後STMの軌道選択性が拓く物質科学の新展開が期待されます。

本研究成果は 2017 年 9 月22 日(米国東部時間)に米国科学誌「Science Advances」で公開される予定です。

発表内容:

①研究の背景

物質中の電子には電荷の正/負、スピンの向きという自由度に加えて、電子がどの電子軌道を選択するかという自由度が存在します。これらの組み合わせによって多彩な物質の性質が現れることから、新たな機能発現や現象解明を目指して、電荷、スピン、軌道を精緻に観察、制御する研究が盛んに行われています。

その中で、各原子位置で特定の電子軌道が選択され、異方的に電荷が分布し、結晶全体に規則的に配置する現象を、軌道秩序と呼びます。軌道秩序は、マンガン酸化物や希土類金属を含む金属間化合物や鉄系超伝導体などで広く観察されています。最近では、軌道自由度の揺らぎによって超伝導が引き起こされるなど、軌道の自由度が引き起こす多彩な物理現象が注目を集めています。

電子軌道の観察には、比熱等の間接的な測定手法と、共鳴X線散乱という電子軌道の情報を調べる手法が用いられてきましたが、電子軌道の広がり、形状等を直接観察する手法は存在しませんでした。一方、走査トンネル顕微鏡(STM)(図1)の探針と表面の距離を原子スケール以下の精度で制御することで、電子がトンネルする電子軌道を制御し、電子軌道を選択的に可視化できることが数年前に報告され、その有用性が認識されつつあります。

図1

図1 走査トンネル顕微鏡の模式図。

②研究の内容

本研究では、最も良く調べられた重い電子系超伝導体として知られるCeCoIn5のコバルト最表面に、このSTMの電子軌道選択性を適応し、観察を行いました。STM探針を試料表面から0.5ナノメートル程度離した通常の測定条件では、高い対称性を示したコバルト原子が観測されましたが、探針を0.1ナノメートル以下の極限まで近づけるとコバルト原子の形状が崩れ、3d電子軌道を直接観察することに成功しました。そして隣り合うコバルト原子間では、3d電子軌道が交互に向きを変えており、軌道が交互に編み込まれたような、新たな秩序状態の存在が明らかにしました(図2)。

図2

図2 走査トンネル顕微鏡において、探針と表面との距離を変化させた際に見られた重い電子超伝導体CeCoIn5表面のコバルト原子像の変化(左側)と理論計算(右側)との比較。探針が表面から離れている際には、球状の原子像が見えているのに対し、距離が近いと原子が縦方向、横方向に交互に伸びたような構造が観察されている。この現象は、理論計算によって良く再現されている。

この実験結果を検証するために、CeCoIn5のコバルト最表面の電子状態を、第一原理計算により計算しました。その結果、観察された3d電子軌道の秩序構造は、表面において増強される電子間のクーロン斥力を下げるために、隣り合う原子間で異なる軌道が選択された安定構造(図3)であることが明らかになりました。

図3

図3 重い電子系超伝導体CeCoIn5の結晶構造と、表面において観察されたコバルト3d電子軌道(dxz軌道とdyz軌道)の反強的秩序状態の模式図。

③今後の展開

本研究では、STMを用いてコバルトの3d電子軌道を選択的に観測することで、軌道秩序状態を見い出しました。この軌道秩序は、電子軌道の自由度が残っている場合には、普遍的に起こりうると考えられ、今後、他の物質でも観察される可能性があります。また、このSTMの電子軌道選択性は、軌道自由度が織りなす様々な物理現象に対し、電子軌道を直接観察するという強力なツールとして、今後活用されることが期待され、物性物理における長年の謎と考えられているウラン化合物URu2Si2の隠れた秩序などへの適応に興味が持たれます。

本研究は、日本学術振興会の科学研究費、若手研究(A)、若手研究(B)、新学術領域研究(公募研究)「スパースモデリングの深化と高次元データ駆動科学の創成」(領域代表者:岡田真人)などの助成を受けて行われました。

発表雑誌:

雑誌名:Science Advances(9月22日オンライン公開)
論文タイトル:Atomic-scale visualization of surface-assisted orbital order
著者:Howon Kim, Yasuo Yoshida*, Chi-Cheng Lee, Tay-Rong Chang, Horng-Tay Jeng, Hsin Lin, Yoshinori Haga, Zachary Fisk, Yukio Hasegawa (*:責任著者)

用語解説:

(注1)走査トンネル顕微鏡

走査トンネル顕微鏡とは、尖鋭な金属の探針を、電圧を印加した導電性の試料表面に近づけたときに探針と試料との間に流れるトンネル電流を検出することにより試料表面の凹凸や電子状態の分布を原子レベルの分解能で計測する装置。

(注2)重い電子

重い電子とは、磁石の材料などに用いられている希土類や、アクチノイドを含んだ化合物において、金属的な電気伝導を示すにも関わらず、その電気伝導を担う伝導電子の質量が、自由電子の質量の数百倍~千倍も「重く」なっているかのように観測される現象。

(注3)3d電子軌道

電子軌道とは、量子力学で記述される原子核の周りに存在する電子の電荷分布(電子の波動関数)を意味する。古典的な描像では、原子核の周りを運動する電子の軌道に対応する。これらのうち、本研究で可視化された3d電子軌道は、鉄、ニッケル、コバルトなどの金属の磁気的性質に深く関わっており、以下のような5つの形状を持つ。

図4

(注4)第一原理計算

量子力学に則って、物質の中の電子の状態等をコンピューターを用いて調べる理論計算手法。

参考部門・拠点: 先端基礎研究センター

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