【研究背景】

原子力施設等で万一の事故により放射性物質が環境中に放出されると、放射性物質は大気・陸域経由または直接海洋へ放出され、海洋汚染を引き起こします。海洋環境の汚染状況を把握し緊急時対策を検討するために、事故により放出された放射性物質の分布と移行過程を予測することは、日本国内のみならず近年原子力発電所の立地が進む東アジアを包囲する海洋において重要です。

原子力機構では放射性物質の海洋拡散モデル1)の開発を進めてきました。福島第一原発事故の際には、開発した海洋拡散モデルを福島沿岸域に適用し、海水中における放射性物質の移行過程を詳細に再現することに成功しました。しかし、これらは事故が発生してから数週間経過してから過去の海流場を用いて計算を実施したものであり、「将来の汚染状況を把握する」計算の即時予測性能はありませんでした。同時に、計算に必要な海流等の入力データの作成や妥当な計算条件の設定に3週間程度の時間を必要とするなど、多くの問題を抱えていました。そこで、2014年8月から配信が開始された気象庁の海象予報オンラインデータ2)の活用などによりこれらの課題を解決し、日本周辺海域における放射性物質の拡散挙動を迅速に予測可能な、緊急時海洋環境放射能評価システム“STEAMER: Short-Term Emergency Assessment system of Marine Environmental Radioactivity”を開発しました。

【システムの内容】

STEAMERは、気象庁の海象予報オンラインデータを基に、放射性物質の海洋放出量の情報と原子力機構が開発した海洋拡散モデルを用いることで、海水中及び海底堆積物中の放射性物質の濃度を1か月先まで予測することが可能になるシステムです(図1)。このシステムは、同研究グループが開発した放射性物質の大気拡散を予測する緊急時環境線量情報予測システム(世界版)WSPEEDI3)と結合して用いることで、大気を経由して海洋へ降下する放射性物質の分布を予測することも可能です。

システムの機能として、基本計算機能と詳細計算機能を整備しました。

基本計算機能では、システムに日本を含む東アジア諸国の原子力施設と米国の原子力艦船の停泊港の位置情報が登録されており、これらの施設で事故が発生した際には、単位放出条件(溶存態のみを考慮した1 Bq/hの連続放出)を用いて速やかに海洋拡散予測計算を実施することが可能です。また、登録された施設から海洋への直接放出を仮想した事前予測計算を毎日自動で実行する機能も備えています。仮想放出の種類として、事故発生から1日間と30日間の連続放出についてそれぞれ30日後までの予測計算を行い、1日毎の計算結果を可視化しサーバーにアップロードします。30日後までの予測に必要となる計算時間は約3時間です。

登録地点以外で原子力事故が発生した場合や、放射性物質の施設から海洋への直接放出に加えて大気を経由して海洋へ降下する場合、そして放射性物質の放出量情報が事故の進展に伴い明らかになった場合は、計算条件の変更が必要となります。そのため詳細計算機能として、放射性物質の種類、放出海域の位置・深度、放射性物質の放出モードの形態(海洋への直接放出、WSPEEDIで計算された大気から海洋への降下、海洋への直接放出と大気から海洋への降下の同時計算)、放出量情報の時間変化等の計算条件を詳細に設定して予測計算を行うことが可能です。

STEAMERの基本計算機能を用いた即時計算または事前予測計算により得られる海洋汚染状況の予測情報及び詳細計算機能による解析は、原子力事故に関する以下の緊急時対策の検討及び事故の状況と影響の把握に役立ちます。

- 実際の汚染海域を調査するための緊急時海洋モニタリング測点の設定
- 海洋拡散モデルと海洋モニタリング結果を用いた放射性物質の海洋への放出量推定
- 大気拡散モデルと海洋拡散モデル、そして大気/海洋モニタリング結果を用いた放射性物質の大気への放出量推定
- 上記放出量推定値を用いた海洋汚染分布の再現と将来予測
- 海産物及び脱塩水の摂取に伴う内部被ばくを防ぐための禁漁海域及び航行禁止海域の設定

このように、STEAMERは海洋における原子力事故に関する緊急時対応体制を整備するための基盤となり得るものです。

図1

図1 STEAMERのシステム構成

【システムの予測性能の評価】

システムの中核となる計算モデルの予測性能を確認するために、詳細計算機能を用いて福島第一原発事故によって発生したセシウム137による海洋汚染の再現計算を実施しました。WSPEEDIで計算された大気から海洋への降下量と海洋への直接放出量を入力して計算した結果、東京電力、文部科学省、そして各研究機関が測定した本州沿岸から沖合海域におけるモニタリング値を良好に再現することを確認しました。再現計算の例として、福島第一原発から17km沖合の観測点におけるセシウム137の表層濃度の計算値と観測値の比較を図2に示します。図から再現計算は観測値の時間変化を良好に再現していることがわかります。また、2011年4月15日におけるセシウム137の表層濃度分布を図3に示します。福島沿岸から東へ進む赤色の高濃度域は施設から直接海洋へ放出されたセシウム137の拡散です。それ以外の太平洋全体に広がった濃度分布は大気へ放出されたセシウム137が海洋に降下し拡散したものです。このように、STEAMERを用いることで実際には見ることのできないセシウム137の汚染状況を可視化し、把握することが可能となります。

また、試験運用として、原子力施設からセシウム137が1 Bq/h の放出率で海洋へ直接放出することを仮想した計算を、システムの自動予測機能を用いて2014年9月から2017年2月まで毎日実行し(図4)、システムの安定性と堅牢性が確認されました。

図2

図2 福島第一原発事故の再現計算例
福島第一原発から17km沖合(請戸川沖合15km)の観測点における
セシウム137の表層濃度の計算値(実線)と観測値(黒丸)の比較

図3

図3 福島第一原発事故の再現計算例
2011年4月15日におけるセシウム137の表層濃度分布

図4

図4 原子力機構の内部サーバーにアップロードされた予測結果の例
2015年3月31日に福島第一原発から仮想的に放出されたセシウム137の表層濃度分布

【今後の予定】

放出点近傍や沿岸域での詳細計算のための高分解能モデルの開発、計算をさらに迅速に行うための計算コードの高速化、システムの操作性を向上するためのソフトウェア整備等が今後の課題です。また、原子力機構は国際原子力機関(IAEA)が主催する海洋拡散モデルの比較実験に参加し、緊急時に放射性物質の拡散を予測するモデルの信頼性向上に関する研究を各国の研究機関と協働して進めています。このような研究を通じて得られる知見を、予測性能のさらなる向上に結びつけていく予定です。

【論文情報】

雑誌名:日本原子力学会英文論文誌「Journal of Nuclear Science and Technology」
タイトル:”Development of a short-term emergency assessment system of the marine environmental radioactivity around Japan”
著者:Takuya KOBAYASHI1, Hideyuki KAWAMURA1, Katsuji FUJII2 and Yuki KAMIDAIRA1
所属:1日本原子力研究開発機構、2 カストマシステム株式会社


戻る