室温で強磁性を示す元素は、鉄、ニッケル、コバルト、ガドリニウムのたった4つしかありませんが、この中でニッケルは、鉄に続いて2番目に多く地殻に含まれており、さまざまな磁性材料の原料として利用されています。 また、優れた触媒材料として知られるパラジウムや白金と同じ10族元素であるため、希少な白金やパラジウムの代替材料*3としても注目を集めている元素です。 この他、電池材料や水素貯蔵材料にもニッケルは含まれており、非常に応用範囲の広い元素だといえます。 これら材料の機能発現にニッケル元素がどのような役割を果たすのかを調べる有力な手法として、γ線を物質に照射して、その核共鳴吸収スペクトルを測定することで、共鳴に寄与した特定元素周辺の物質状態を探る「メスバウアー分光法」*2が知られており、ニッケルを含んだ機能材料の研究にも適用されてきました。 ところが、従来のメスバウアー分光法では、γ線源に用いる放射性同位体を原子核反応で作りださねばならず、多大な労力と費用がかかっていました。 また、放射性同位体からのγ線は白熱電球の光のように周囲に満遍なく放射される性質があるため、試料が少量の場合、γ線を照射できる面積が少なくなってしまい、測定が困難な状況にありました。 一方、ニッケルをナノ粒子化して、バルク(塊)のニッケルと全く異なる物質現象を発現させることで新しい高機能材料を創出させるための研究が近年盛んに進められています。 このような先端ナノ材料の開発においては、候補物質の機能発現のメカニズムを解明して、高性能化を図った後に大量生産に向けた技術開発が行われます。 ところが、多くの場合、開発の初期段階で得られる候補物質は少量であり、その微量な試料の材料特性を調べられる手法が必要不可欠となっています。 このため、レーザーのように微量試料をピンポイントで測定できる指向性の強い放射光を光源に用いたニッケルのメスバウアー分光法の実用化に大きな期待がもたれていました。
今回、SPring-8*4のシンクロトロン放射光を利用してニッケルのメスバウアースペクトルを観測できる測定システムを新たに構築しました(図1)。 この測定システムでは、最初に放射光を試料に照射して、その中に含まれるニッケル元素の同位体*5(61Ni:核共鳴エネルギーは67.4 キロ電子ボルト)に核共鳴吸収させます。 次に、試料を透過したX線をエネルギー基準物質(61Ni同位体を含み、狭いエネルギー幅で共鳴する物質)に照射します。 このエネルギー基準物質の速度を調節して動かすと、光のドップラー効果*6を利用して、基準物質に含まれる61Ni同位体に核共鳴吸収される入射X線のエネルギーを変えることができます。 一方、放射光がエネルギー基準物質に核共鳴吸収されると、それに伴い二次的に発生するX線や電子が不特定な方向に散乱されます。 これらの散乱強度とエネルギー基準物質の速度の相関を記録すれば、試料側のメスバウアー吸収スペクトルを観測できます。 この装置では、高い測定効率を得るために、真空チャンバー内に電子とX線を同時に測定する検出器とエネルギー基準物質を封入し、それらを可能な限り接近させ、大きな検出立体角を確保した上で散乱信号を測定しています。 図2(a)には、放射光で測定されたバルクのニッケルのスペクトルを示します。 線幅の広がりは、ニッケル原子の磁石の強さ(磁気モーメント*7の大きさ)に比例しており、スペクトルの解析から求められた磁気モーメントの大きさは0.6μBでした。 次に、ニッケルナノ粒子(粒径:約40 nm)についての測定を行いました。 このナノ粒子は化学還元法*8で作製されたもので、現段階では大量に製作することが難しい材料です。 また、バルクのニッケルが面心立方構造*9であるのに対し、六方晶*9の結晶構造を持ち、表面は有機物でコーティング*10されています。 六方晶のニッケルナノ粒子は、バイオ材料から水素を発生させる触媒として開発が進められている材料です。 本実験では、僅か0.1グラム(従来法で実験を行うのに必要な試料量の1/10以下)のナノ粒子に放射光をピンポイントで照射することにより、統計性の良いスペクトルを得ることに成功しました(図2(b))。 スペクトルの解析から求められたニッケルナノ粒子の磁気モーメントの大きさは0.3μBで、バルクのニッケルの半分以下にまで低下していることが分かりました。 ニッケルナノ粒子の磁気モーメントが低下する原因としては、結晶構造が異なることに加えて、試料作製の過程で混入した炭素による影響が予想されます。 このため、理論計算と実験結果を比較した結果、今回測定を行ったナノ粒子では、ニッケルに対して10%程度の炭素が入り込んでいることを突き止めました。
図1 放射光メスバウアー吸収分光法の測定システムの概念図(左)、真空チャンバー内に配置した検出器(右上)とエネルギー基準物質[61Ni86V16]の外観写真
図2 放射光を用いて測定したニッケル金属(バルク)のメスバウアースペクトル(a)とニッケルナノ粒子のメスバウアースペクトル(b)。吸収線の幅がニッケルの磁力の強さに比例します。これらの試料は、安価な市販のニッケルで作製されており、高価な同位体富化*11は行っていません。横軸の速度は、1mm/s=0.225 μeVでエネルギーに変換できます。
磁性材料・触媒・電極材料・水素貯蔵材料など、様々な物質の原料として用いられているニッケルのメスバウアー分光測定が比較的容易にできるようになったことで、これら材料の機能発現のメカニズムが解明され、その高性能化につながることが期待できます。また、高指向性の放射光とニッケル元素の共鳴現象を利用した手法なので、少量の試料で測定ができ、有機物などでコーティングされていても、内部のニッケルだけを特定して評価できるという特徴があります。このため、組成や構造が複雑で材料評価が難しいハイブリッドナノ材料研究の強力なツールになることが期待されます。
今後、ニッケルの放射光メスバウアー吸収分光法を駆使して、ニッケルナノ粒子を高分子材料に分散することで高い触媒活性を示す先端ナノ材料の機能発現メカニズムを解明していく予定です。
61Ni synchrotron radiation-based Mössbauer spectroscopy of nickel-based nanoparticles with hexagonal structure
Ryo Masuda, Yasuhiro Kobayashi, Shinji Kitao, Masayuki Kurokuzu, Makina Saito, Yoshitaka Yoda, Takaya Mitsui, Kohei Hosoi, Hirokazu Kobayashi, Hiroshi Kitagawa, and Makoto Seto
Scientific Reports誌に掲載予定