【研究の背景】

これまで、放射線の効果は、放射線が当たってエネルギーが直接与えられた細胞にのみ生じると考えられてきました。ところが最近の研究から、エックス線やガンマ線が当たった細胞だけでなく、当たっていない周囲の細胞にも放射線の効果が伝わる「バイスタンダー効果」と呼ばれる現象が注目されています。このバイスタンダー効果は、放射線が細胞に直接当たった時の効果と比べると小さいために、細胞集団の大半に放射線が当たっている状況ではその効果の中に隠れてしまい、検出は困難です。細胞集団の一部だけに放射線が当たるような状況でのみバイスタンダー効果の検出が可能ですが、放射線のエネルギーを狭い空間に集中して与える重粒子線と、それとは対照的に広く薄く満遍なくエネルギーを与えるガンマ線やエックス線とで、引き起こされるバイスタンダー効果に違いがあるのかについては十分な知見がありませんでした。そこで本研究では、重粒子線の一種である炭素イオンビームとガンマ線が引き起こすバイスタンダー効果を定量的に比較し、バイスタンダー効果の分子メカニズムを解明することを目的としました。

【研究の方法】

本研究では、高崎量子応用研究所のコバルト60ガンマ線照射施設(5)イオン照射研究施設(TIARA)(6)を用いて、ガンマ線、あるいは重粒子線の一種である炭素イオンビームを照射したヒト肺由来の正常線維芽細胞(WI-38株)と照射していない細胞を、培養液や一酸化窒素、サイトカインなどの細胞間情報伝達物質は通過できるが、細胞は通過できない多孔膜の上側と下側で培養しました。24時間後、多孔膜の下側のガンマ線や重粒子線を照射していない細胞を回収して増殖能力を測定しました(図1)。また、バイスタンダー効果を引き起こす分子メカニズムを明らかにするため、一酸化窒素が培養液中で酸化されて生じる亜硝酸イオンの濃度を測定するとともに、この一酸化窒素と反応して安定な物質に変化させることができる特異的消去剤をあらかじめ培養液に加えた実験も行い、その結果を比較しました。

図1

図1 バイスタンダー効果の検出方法の模式図

【研究の成果】

ガンマ線や炭素イオンビームを照射した場合において、細胞に与えられるエネルギーの量(吸収線量)が増加するにつれて照射していない細胞の増殖能力が低下しましたが、同じ線量ではガンマ線と炭素イオンビームの効果に違いはありませんでした(図2)。また、実験系内の一酸化窒素を意図的に消去した実験では、炭素イオンビームあるいはガンマ線のどちらの場合でも、照射した細胞の増殖能力は低下しますが、照射していない細胞の増殖能力は全く低下しないことが分かり、バイスタンダー効果が伝わるためには一酸化窒素の生物学的な合成が必要であることを突き止めました。さらに、一酸化窒素が培養液中で酸化されて生じる亜硝酸イオンの濃度を測定した結果、炭素イオンビームあるいはガンマ線どちらの場合でも、照射した細胞に与えられた線量が増加するにつれて培養液中の亜硝酸イオンの濃度が上昇すること、亜硝酸イオンの濃度が上昇するにつれて放射線が当たっていない細胞の増殖能力が低下することを発見しました。以上の結果から、重粒子線やガンマ線が当たった細胞の周りの細胞では、一酸化窒素の生成量が増加するほど、増殖能力が低下することを明らかにしました。

なお、この研究の一部は、科学研究費補助金(25740019)の支援を受け実施しました。

図2

図2 放射線が当たっていない細胞の増殖能力の低下と培養液中の亜硝酸イオン濃度の上昇の関係
(●と○:ガンマ線、:炭素イオンビーム)


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