【研究開発の背景】

蓄積リング型X線光源9)X線自由電子レーザー(XFEL)10)が、X線を発生する放射光源として広く利用されています。一方で、これらの光源を補完する新型放射光源の研究開発が進められています。光速近くまで加速した電子ビームとレーザービームの衝突によりX線、ガンマ線を発生する現象(レーザー・コンプトン散乱)に基づく光源もそのひとつです。

(1) レーザー・コンプトン散乱によるX線、ガンマ線の発生

レーザー・コンプトン散乱(Laser Compton Scattering; LCS)とは、加速器で光速近くまで加速した電子とレーザー光を衝突させることで、電子によって散乱されたレーザー光が高いエネルギーのX線やガンマ線に変わる現象です。(図1参照)。レーザーは電子との散乱(逆コンプトン散乱)によって電子からエネルギーを得て、高エネルギーの光子、すなわちX線またはガンマ線に変換されます。なお、コンプトン散乱とは、1932年にアーサー・コンプトンによって発見された現象で、光が電子と散乱して光のエネルギーが変わる現象です。

LCSでは電子ビームのエネルギーやレーザーの波長を選ぶことで、発生するX線やガンマ線のエネルギーを自由に変えることができます。また、電子ビームの輝度と電流を大きくし、レーザービームの強度を上げることで、発生するX線、ガンマ線の輝度と強度を増大することができます。LCSに基づく光源は、散乱光子ビームのエネルギーが数keVから100 keVのX線領域では大型放射光施設に匹敵する小型光源として、また、エネルギーが1MeV以上のガンマ線領域では唯一のエネルギー可変光源となり得るものです。

図1

図1 レーザー・コンプトン散乱の原理。左から光速近くまで加速した高エネルギーの電子が飛来し、右から来たレーザーと衝突します。レーザーは電子との衝突によって反対方向に散乱され、電子からエネルギーを得てX線またはガンマ線となります。

(2)エネルギー可変ガンマ線ビームによる核物質の非破壊測定と検知

原子力機構では、原子炉使用済燃料中や、東京電力株式会社福島第一原子力発電所の溶融燃料に含まれる核物質の測定、貨物中に隠ぺいされた核物質の検知などへ、LCSガンマ線の応用を提案しています。このような核物質の非破壊分析と検知は、原子核共鳴蛍光散乱(Nuclear Resonance Fluorescence:NRF)というガンマ線と原子核の反応を利用します。NRFは、原子核が特定のエネルギーのガンマ線を吸収することで、一時的にエネルギーを保有した状態(このような状態を励起状態と呼び、励起状態になることを「励起する」と言う)になった後、同じエネルギーのガンマ線を放出して元にもどる現象(これを脱励起と呼ぶ)です。核種(原子核の種類。例えば、U-235や、Pu-239など)には、それぞれ異なる励起エネルギーを有する状態が存在しています(図2参照)。測定したい核種の励起エネルギーに等しいガンマ線を照射すると、その核種のみで原子核共鳴蛍光散乱が発生します。その場合、散乱ガンマ線のエネルギーを計測することにより非破壊であらゆる核種の測定や検知(図3参照)ができます。

このような核物質の非破壊検知と測定には、任意のエネルギーのガンマ線を大強度で発生できる装置が必要です。現在、蓄積リング加速器を用いたLCSガンマ線源として、兵庫県立大学のNewSUBARU、米国Duke大学のHIGSが稼働していますが、溶融燃料中の核物質の測定には、さらに1万倍以上強度の高いガンマ線源の開発が必要です。

図2

図2 励起エネルギーと原子核共鳴蛍光散乱の概念図。Pu-239やU-235等の核種には固有の励起状態(エネルギーが高い状態)が存在しています。励起エネルギーに等しいガンマ線が照射されると、ガンマ線を吸収・放出する原子核共鳴蛍光散乱が起こります。測定対象以外の核種では、励起エネルギーと異なるため核共鳴蛍光散乱は起こりません。

図3

図3 原子核共鳴蛍光散乱の測定法の概念図。測定対象物(例えば、炉心から取り出した後に容器に納められた溶融燃料デブリ)に含まれる核物質と核共鳴蛍光散乱(NRF)が起こり、NRF散乱ガンマ線が様々な角度に放出されます。この散乱ガンマ線を検出することでPu-239をはじめとしたあらゆる核物質を非破壊で測定します。

(3)高輝度小型X線光源

現在、広く利用されているX線源には、X線管11)(医療用レントゲン装置、実験室X線回折装置など)と蓄積リング型X線光源(シンクロトロン放射光リング)があります。X線管は小型で使いやすい装置ですが、輝度が低いという欠点があります。放射光源加速器は、X線管に比べて10桁以上高い輝度を有していますが、大型の施設であり利用申請とその承認を経ないと利用ができない点で簡便性、機動性が十分にあるとは言えません。X線は、物質科学、生命科学を中心とした先端科学研究に欠かせない基盤ツールであり、高輝度X線を身近に使えるようにしたいという、研究者の要求は年々高まりつつあります。

このような要求に応えるため、シンクロトロン放射光に匹敵する高輝度のX線を小型の装置で実現するための技術開発が進んでいます。KEKでは、レーザー・コンプトン散乱に基づく高輝度小型X線光源を提案(図4参照)し、これに必要な基盤技術の開発を行っています。

図4

図4:高輝度小型X線源の概念図

【研究成果の内容】

LCSにおける電子とレーザーの衝突確率は非常に小さく、このため、LCS光源の実用化には、電子ビームとレーザービームを高密度かつ高繰り返しで衝突させる技術が必要とされます。これまでのLCS光源では、リニアック(線形加速器)12)蓄積リング加速器13)の電子ビームが用いられてきました。リニアックは電子ビームを微小サイズに収束させることができますが、パルス運転しかできず電子ビームとレーザービームの衝突実績は1MHz程にとどまっています。蓄積リングは連続運転(100MHz以上)が可能ですが、リニアックに比べて個々の電子パルスが時間方向に長く、衝突密度を高めて行くことに限界があります。

共同研究グループは、エネルギー回収型リニアック(ERL)とレーザー蓄積装置を用いること(図5、図6参照)で、LCS光源実用化の鍵となる電子ビームとレーザービームの高密度かつ高繰り返しの衝突が可能となることに注目し、これに必要な技術開発を進めてきました。ERL6)は超伝導加速器により加速した電子ビームを光の発生に利用した後に電子ビームを減速することで、電子ビームのエネルギーを再利用する装置です。エネルギーの再利用によって、高繰り返しで電子ビームを効率的に加速することができます。さらに、電子入射器に光陰極電子銃を用いることで高輝度高品質の電子ビームを生成することができ、LCS発生点において、電子ビームを微小スポットサイズに収束することができます。電子ビームの高繰り返し加速には、国際リニアコライダーなど将来の先端加速器に向けて研究開発が行われている超伝導加速器技術を利用しました。レーザー蓄積装置は、高反射率の鏡からなる光共振器であり、電子ビームラインと交差するように設置されます。レーザー発振器で作られるレーザーパルス列を光共振器に導入することで、レーザーパルスを重ね合わせてレーザー強度を高めることができます。

図5

図5:エネルギー回収型リニアックとレーザー蓄積装置を用いたレーザー・コンプトン散乱X線/ガンマ線源の原理。電子入射器で発生した電子ビームは、超伝導加速器で加速された後、レーザー・コンプトンX線/ガンマ線発生に用いられる。さらにその後、電子ビームは再び超伝導加速器へ導かれる。この時に、電子が減速されるタイミングで超伝導加速器へ電子を入射することで、電子のエネルギーを回収し後続電子の加速に再利用することができる。減速された電子ビームは、ビームダンプへ捨てられる。

図6

図6: レーザー蓄積装置。入射されたレーザーパルスは高反射率鏡で作られる閉軌道を周回する。この周回するレーザーパルスと新たなレーザーパルスの入射を精密に一致させ次々と重ねることで、蓄積されるレーザーパルスの強度を増すことができる。

LCS実験は、KEKつくばキャンパスに建設されたコンパクトERL(ERL試験加速器:図7参照)にて実施しました。研究グループは、2014年12月までにLCS実験のための装置の組み立てと設置を完了しました。2015年2月から4月までの実験において、最小30μmの微小サイズで電子ビームとレーザービームを162.5MHzの高繰り返しで衝突させLCSによるX線ビームの発生実験を試みたところ、エネルギー6.9 keVの準単色X線ビームの発生に成功しました(図8参照)。実験室の検出器(直径4.66mm)に入射したX線の強度は最大で毎秒1200個であり、LCS発生点(衝突サイズ30μm)での強度に換算すると毎秒4.3x107個となります。

この実験における電子ビーム電流は58μAでしたが、コンパクトERLでは、今後、電子ビームを10 mAまで増やす予定です。10 mA運転時のLCS発生量を今回の実験結果から計算すると毎秒109個となります。X線だけでなく高エネルギーのLCS線(ガンマ線)まで適用可能な技術であり、既存のLCSガンマ線源であるNewSUBARUを1000倍、HIGSを10倍上回る強度が得られることになります。

図7

図7:高エネルギー加速器研究機構に建設されたコンパクトERL(ERL試験加速器)

図8

図8:レーザー・コンプトン散乱で発生したX線のエネルギースペクトル。
中心エネルギー 6.9 keV。図の横軸はX線エネルギー、縦軸はX線の光子数を示す。

研究グループは、さらに、LCSで発生したX線を使ったイメージング実験として、スズメバチのX線透過(図9参照)実験を行いました(2次元X線検出器としてリガク製、HyPix-3000を使用)。薄い翅(ハネ)を支える翅脈が見える他、体内の構造が良好なコントラストで観察できました。X線のエネルギーが揃っているため、画像の濃淡が観察試料の密度と一対一で対応していることから、試料組織を詳しく解析することができます。LCSを使えば、周長数100mという放射光施設を用いることなく、潜在的には周長数10数mの実験施設でこのように鮮明な画像が得られることになり、大きな病院にMRIの装置が導入されているように、ダウンサイズした高輝度X源によるコンパクトな高精細診断装置が大学・病院などへ導入できる可能性が開かれます。共同研究グループは今後、電子ビームと蓄積レーザーそれぞれの改善を進め、LCS X線の強度を上げることで、より鮮明なイメージングを実現していきます。

図9

図9:レーザー・コンプトン散乱で発生したX線(6.9 keV)で撮影したスズメバチの透過画像(2次元X線検出器として、リガク製 HyPix-3000を使用した)薄い翅(ハネ)を支える翅脈が見える他、体内の構造が良好なコントラストで観察できる。X線のエネルギーが揃っているため、画像の濃淡が観察試料の密度と一対一で対応していることから、試料組織を詳しく解析することができる。

【成果の波及効果】

これまで、レーザー・コンプトン散乱に基づく多くのX線/ガンマ線源が開発され利用に供されてきました。しかしながら、発生できるX線/ガンマ線の強度は電子とレーザーの衝突密度と繰り返しで制限され、さらに、輝度、単色性は電子ビームの品質(角度発散とエネルギー広がり)で制限されていました。

今回の研究成果は、近年、著しい進化を見せている電子加速器、レーザーの技術を組み合わせることで、レーザー・コンプトン散乱X線/ガンマ線の性能を大きく高められる可能性を示したものです。

原子力機構では放射性廃棄物や使用済原子炉燃料に含まれる放射性核種(核物質)を非破壊分析する手段として大強度ガンマ線光源を利用した核共鳴蛍光散乱による核セキュリティ技術開発を進めています。KEKでは、生命科学研究、ナノ構造解析、創薬、医療診断・治療への利用を画期的に飛躍させる数keVから100keVのX線領域の高輝度小型X線発生装置を目指した基盤技術開発を進めています。これらのX線/ガンマ線光源は、いずれもレーザー・コンプトン散乱に基づくものです。今回の研究成果は、これら次世代のレーザー・コンプトン散乱X線/ガンマ線源の実現に向けた大きな一歩となるものです。


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