●背景と経緯

鉄に磁場をかけると、鉄の磁気量を変化させることができます。1915年にドイツの物理学者のアルバート・アインシュタインとオランダの物理学者のヴァンデル・ドハースは、宙づりにした鉄棒に磁場をかけることで、磁気量を増減させると、鉄棒が回転運動する現象を発見しました。これはアインシュタイン・ドハース効果と呼ばれ、磁気と回転運動とが密接に結び付いていることを示しています。

この現象が発見された当時は、まだ量子力学は完成しておらず、アインシュタインらは古典物理学の範囲内で、この現象を理解するに止まっていました。その後、量子力学が構築され、ミクロの世界の物理法則の理解が進んだ結果、個々の素粒子は、スピン(あるいはスピン角運動量)と呼ばれる性質を持っており、スピンと回転運動の相互作用が存在することが明らかになりました。

また、量子力学によって、スピンは磁性の起源であることが分かっています。スピンは、「上向き」と「下向き」という2種類の方向を持っており、スピンの方向によって磁性のN極S極の向きも決まります。近年のナノテクノロジーの進展によって、スピンの方向を制御する研究が発展し、「上・下」という2種類の性質を用いて、デジタル情報の記録に応用する技術開発も注目を集めています。また、ナノメカニクスの世界では、素粒子が持つスピンを回転運動によって制御することや、スピンを制御して回転運動を誘起する研究も進められており、既存のモーターとは全く異なる原理で作動する素子の実現も期待されています。

しかし、スピンと回転運動の相互作用を量子力学的に検証するためには、回転運動する物体中の個々の素粒子のスピンを直接測定する必要があり、これまで実現されていませんでした。

図1

図1:
左:高速回転電気回路の概略図。高速回転するカプセルの中にコンデンサーと内側誘導コイルと測定コイルから構成される電気回路を挿入する。外側誘導コイルと内側誘導コイルは機械的に切り離されている一方で、電気的には結合しているため、高速回転を実現しつつ、試料に電磁波を誘導できる。エアタービンに圧縮空気を吹き付けることで高速回転を行う。
右:実際に使用した装置の写真。
右図真中:測定に使用した高速回転電気回路。遠心力による電気回路の破壊を防ぐためにエポキシ樹脂に埋め込んでいる。
右図右:回転カプセル。

●研究の内容

今回、当研究グループは、高速回転する物体中の原子核のスピンに着目し、回転運動が個々の核スピンに与える効果を直接測定する新しい手法を開発し、その効果の検証に成功しました。

磁場中におかれた原子核スピンは、周りの電子状態の変化に応じてその状態を変化させます。原子核スピンの状態から、原子の化学結合状態を分析する手法が確立されており、核磁気共鳴法(NMR)と呼ばれています。NMRを使って、生体内の水素原子核のスピン情報を分析することにより、体内の臓器の断層撮影を実現した方法が、現在医療で広く使われている核磁気共鳴画像法(MRI : Magnetic Resonance Imaging)です。

当研究グループは、高速回転するカプセルの中に、NMR測定用の電気回路を組み込んだ装置を開発し(図1)、サンプルと電気回路をともに1秒間に1万回転(10kHz)させながら、核スピンが発する電磁波の回転応答の測定を行いました。その結果、高速回転運動にともなって、原子核スピンの場所に理論的に予想された通りの磁場が誘起され、その磁場を原子核スピンの回転の変化として直接測定することに成功しました。

図2

図2:
試料回転による信号の変化。横軸は外部磁場、縦軸は信号強度である。回転無しの信号(緑点)に比較して、回転数10kHzの信号(赤点)は左にシフトする。 弱い外部磁場で共鳴が起きるということは、外部磁場以外に付加的な磁場が生じていることを示している。

●原理の説明

ミクロの世界を精密に記述する量子力学によると、回転運動がスピンに作用する効果は、磁場がスピンに作用する効果と等価となることが知られています。つまり、回転運動させると、その物体中の原子核スピンには、回転運動に起因する磁場が余分に発生していると考えられます。

NMRを使うと、核スピンが発する電磁波を測定することにより原子核にはたらく磁場を測定できます(図2)。静止している物体中の核スピンの共鳴磁場に対して、回転運動する物体中の核スピンの共鳴磁場は回転運動に起因した磁場によってずれを生じます。今回、開発した装置によって、理論予測通りの10kHzの回転運動に対して1.07ミリテスラの磁場を観測することができました。

●今後の展開

本研究によって、物体の回転運動が個々の原子核スピンに与える効果を直接観測することが可能となり、ナノスケールの物体運動とスピンの量子力学的相互作用を本格的に調べることが出来るようになり、ナノモーター開発への道が拓けました。また、流体中の渦運動のような局所的な回転運動を核スピンを通じて解析する新しい核磁気共鳴画像法の開発が期待されます。


戻る