【研究の背景と目的】

高強度レーザー技術開発の進歩によって、現在、瞬間的なパワーがペタワット注3に達する高強度のレーザー光を実験室規模で発生できるようになっています。このようなレーザー光をミクロンサイズまで集光して薄膜に照射すると、薄膜表面は瞬時にプラズマ状態注4になり、それと同時に薄膜の中の電子の集団は光の速度に近い運動エネルギーを持ってレーザー光の進行方向に放出されます。このような高エネルギーの電子(高速電子)の集団は薄膜を貫通し、裏面方向へ抜け出そうとします。その結果、薄膜裏面外側に形成される電子雲と薄膜裏面表面に残されたプラスの電荷を帯びたイオンの間に極めて強い電荷の分離が発生します。これが強力な加速注5電場注6として作用することで、薄膜裏面に存在する水分などに含まれ、正電荷を持つ物質としては最も軽い陽子を瞬時に高エネルギーまで加速します。この方法でより高い超高エネルギーの陽子線を発生するには、レーザーを強く集光して電子の集団のエネルギーを高くすることが必要であることが知られています。このようなレーザー駆動陽子線注7は従来の加速器注8に比べ、陽子発生部の小型化により装置そのものや放射線管理が必要となる部分を小型化することが可能であり、産業利用や医療への応用が期待されます。

これまで、小型化が可能なチタンサファイアレーザー注9を使った実験では、得られる加速エネルギーの最大値が25メガ電子ボルト(25 MeV)に留まっていました。これは電子の集団のエネルギーをより高くするためにレーザーを強くしてもそれに伴ってレーザーパルスに先行する「プレパルス注10」と呼ばれる光ノイズのレベルが強くなり、レーザーパルスが薄膜に到達する前に、「プレパルス」による薄膜裏面のプラズマ化が起こるために、理想的な条件での電荷分離による強い加速電場形成が阻害されることが原因と考えられていました。

【研究成果の手法】

今回、理想的な条件でレーザーパルスの薄膜への照射を実現するために、以下に示す二つの技術的な要素を高度化しました。その結果、小型化が可能な高出力レーザーを利用した方法では世界最高となるレーザー駆動陽子線の発生に成功しました(図1)。

図1 高いレーザー光強度を達成し、かつ、プレパルスを抑制することによって、世界最高エネルギーの陽子を発生しました

1)レーザーパルスの成形技術の高度化

レーザー駆動陽子線を効率良く発生させるには、レーザーパルス(「プレパルス」に対して「主パルス」と呼ぶ。)に先立つプレパルスの強度比が重要であることが判っています。このプレパルスが大きすぎると主パルスによって薄膜が照射される前にプレパルスが薄膜自体をプラズマ化し、薄膜裏面に電荷分離による強い加速電場の形成を促せなくなることが知られています。今回、我々は「可飽和吸収体注11」と呼ばれる光ノイズ成分のみを除去するフィルターと、主パルスに先立つ部分を切り取る高速光シャッターをレーザー装置に上手く組み込むことで、図2に示すように、主パルスの約500ピコ秒前(1ピコ秒=1兆分の1秒)から20ピコ秒前までについてプレパルスの強度をピーク強度の100億分の1まで減少させることを可能にしました。

図2. 主パルスのピークの500ピコ秒前からのレーザー光パルスの時間波形

2)レーザー集光技術の高度化

高いレーザー集光強度を得るためには、@発生するレーザー光のパルスエネルギーを大きくすること、Aパルス幅を短くすること、Bできるだけ小さな領域にエネルギーを集中させることの三点が必要です。そのためには、レーザーの光の波としての性質がもつ「位相注12」をそろえる必要があります。今回の実験に用いたチタンサファイアレーザーには周波数の幅があるため、各々の周波数に対する相対位相を、レーザービーム断面の全体にわたって、できるだけ揃うようにする必要があります。今回、大エネルギーのレーザーパルスの発生点から実際の薄膜ターゲットに照射するに至るレーザー光の伝送を大幅に改善し、さらに相対位相の最適化を施した結果、上述の3つの点を改良することに成功しました。

図3 -200〜200フェムト秒の主パルス近傍のレーザーパルス波形

図3には、パルス圧縮により得られたレーザーパルスの時間波形を示します。8ジュールという大エネルギーでありながら、パルス圧縮の際の位相制御を行うことで40フェムト秒(1フェムト秒=1000兆分の1秒)の時間幅でターゲット照射を可能にしました。また、レーザービーム断面の全体にわたって位相をそろえたことにより、直径2ミクロンの範囲にレーザー光を集光することが可能になり、その結果、薄膜ターゲット上で1021W/cm2(40フェムト秒の間だけ太陽光の地表での強さの1兆倍のさらに100億倍程度)を上回るレーザー集光強度を達成しました。

【得られた成果】

これまでには、集光強度2×1022W/cm2を実現したという報告がありますが、光ノイズ成分を充分に除去できていないために、実際にその強さでターゲットを照射しても、理論的に予想される陽子線加速を実現した例はなく、既に示すように、例えば陽子線の加速エネルギーの到達最高記録はこれまで25メガ電子ボルトのままでした。今回は、実質的なターゲット照射における集光強度の向上に成功することで、加速エネルギー記録を大きく更新し、小型化が可能なチタンサファイアレーザーを用いた中では世界最高となる40メガ電子ボルト(40 メガ電子ボルトの陽子の速度は9万q毎秒)の陽子線発生に成功しました。図4に、小型化が可能なレーザーを用いた場合について、これまでの実験結果と今回の実験結果をプロットしています。

図4 これまでの実験結果と今回の結果の比較

【今後の予定】

今回の発生陽子線のエネルギー分布には幅があり(つまりエネルギー的に白色で)、15メガ電子ボルト以上の陽子線は1ショットあたり約7ミリジュール発生しています。この線量は、例えばネズミを用いたin vivo注13の陽子線がん治療実験にも十分利用できる線量になります。今回の陽子線発生技術の開発は、既存の粒子線がん治療装置注14を一気に小さくできる可能性を秘めるとともに、様々な産業用加速器等への応用も期待されます。


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