1.背景

電力の供給は、現代社会における最も重要なインフラの一つです。古典電磁気学によれば、電気の源となる起電力は磁束の時間変化によって生じます。これはファラデーによって発見された誘導起電力で、電子の「電荷」に電磁場が働くことに起因しています。ファラデーの法則はその発見から現在に至るまで、様々な電気機器の動作原理として私たちの生 活を支えています。その一方で、近年、電子のもう一つの性質「スピン」に起因する起電力の存在が理論的に予測され、実験によって確かめられました。この「スピン起電力」は、磁石(磁性体)を構成する磁化の磁気エネルギーが、磁化と電子スピンの相互作用を通じて、電子の電気エネルギーに変換されることにより生じます。スピン起電力は、従来の誘導起電力とは全く異なる新たな起電力生成方法として注目されており、次世代ナノデバイスの電気・磁気エネルギー変換技術、並びに磁気センサー応用などにおいて中心的な役割を担うと期待されています。

スピン起電力を生成するための典型的な方法として、微細加工された磁性細線中の磁壁の運動を利用するものがあります。磁性体に磁場を加えると磁壁は一方向へ移動することが知られていますが、この磁壁の運動に伴って磁気エネルギーから電気エネルギーへの変換が起こり、スピン起電力が生じるのです。これは、スピン起電力の生成方法として初めに提案されたものであり、その後米国と日本の研究グループによって独立に実証されています。これらの実験では、磁性細線としてパーマロイと呼ばれる鉄とニッケルの合金が用いられました。スピン起電力の大きさは加える磁場の大きさに比例することがわかっています。しかし、パーマロイは磁気異方性が非常に小さい磁性材料であり、磁壁の構造そのものが磁場によって容易に変形してしまいます。すなわち、加える磁場が大きくなってくると安定した磁壁の運動を制御することが困難になり、それに伴ってスピン起電力の出力も乱雑な信号となることが判明しました。結果として、パーマロイに加えられる磁場の大きさは数十ミリテスラ(mT、1mT=10-3T)に制限され、出力される起電力は数マイクロボルト(μV、1μV=10-6V)程度にとどまります。これは応用の観点からは物足りない強度であり、より大きなスピン起電力の生成を可能にする物質の探索、そのための理論的な指針を得ることが重要な研究課題とされていました。

2.研究手法と成果

当研究グループは、これまで以上に大きなスピン起電力の生成を可能にする系として、磁気異方性の大きな物質に着目しました。こうした物質では、磁壁の構造は磁気異方性によって強く支配されており、外から加えた磁場による磁壁構造の乱れはパーマロイの場合に比べて極めて小さく、大きな磁場の下でも安定した磁壁運動が可能となります(図1)。すなわち、磁気異方性の大きな物質ほど大きなスピン起電力の安定的な生成が可能になると期待されます。

そこで、当研究グループでは、大きな磁気異方性で知られるコバルト・ニッケル多層膜と鉄・白金規則合金薄膜を対象とし、数値的手法によってこれらの物質における磁壁運動とそれに伴って発生するスピン起電力を求めました。その結果、コバルト・ニッケル 細線では数百ミリテスラ、さらに磁気異方性がコバルト・ニッケル細線より10倍ほど大きい鉄・白金細線では数テスラまでの範囲で、安定した磁壁移動が確認されました。こうした磁場の範囲内で、コバルト・ニッケルでは最大数十マイクロボルト(図2)、鉄・白金細線においてはこれまでパーマロイで得られた起電力の約100倍の数百マイクロボルトものスピン起電力が得られることがわかりました。また、磁壁運動の解析により、磁気異方性の大きな物質ではスピン起電力を発生させるために必要な磁壁の可動範囲が、これまでより小さくて良いことも判明しました。これは、スピン起電力を用いたデバイスのさらなるダウンサイジングを可能とします。以上の研究成果により、より磁気異方性の大きな物質がスピン起電力の生成には有利であることが明らかになりました。

図1 パーマロイ(左)と、コバルト・ニッケル(右)磁性細線内部における磁壁構造

図2 スピン起電力の時間と磁場依存性

3.今後の期待

今回、磁気異方性の大きい磁性材料での磁壁運動と、それによって生じるスピン起電力の振る舞いを理論的に明らかにしました。その結果、磁気異方性の大きな物質ほど高い磁場を加えることが可能であり、従って大きなスピン起電力が安定的に実現されることを見出しました。特に、大きな磁気異方性で知られる鉄・白金合金を用いることで、これまでの約100倍のスピン起電力が得られることがわかりました。この結果は、スピン起電力を応用する際の材料設計に強力な指針を与えるものです。スピン起電力は、磁場による磁壁の運動そのものから起電力信号が発生するため、磁場の検出手段として従来必要であった検出電流が不要になるなどの利点があり、磁気センサーや磁気ヘッドなどへの応用展開が検討されています。今後、この研究結果を材料設計に反映させることで、スピン起電力デバイスの開発が大きく促進されることが期待されます。

論文名・著者名

“Stability of Spinmotive Force in Perpendicularly Magnetized Nanowires under High Magnetic Fields,”  (垂直磁化細線におけるスピン起電力の高磁場下での安定性)

Y. Yamane, J. Ieda, and S. Maekawa, (山根結太、家田淳一、前川禎通)

Applied Physical Letters  100巻16号 (4月16日号) 発表予定


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