T.背景と目的

中性子の利用は、原子力分野に加えて、J-PARCのパルス中性子源を用いた研究開発やホウ素中性子捕捉療法(BNCT)に代表される産業・医療分野にも広がっています。中性子を適切に利用・管理するためには、中性子の量を正確に測定しなければいけません。このためには、使用する中性子測定器を標準照射場で試験し、正確な感度を求めておく必要があります。しかし、利用される中性子のエネルギー範囲は、熱エネルギー(0.025eV)から20 MeVまでと広く、中性子測定器の感度には大きな中性子エネルギー依存性(エネルギー特性)があります。特に、数keV以上の中性子エネルギーでは、このエネルギー特性が大きく変化するため、数keVから20 MeVの範囲が重要となります。このため、単一エネルギーの単色中性子を用いて、エネルギー毎に測定器の感度を正確に決定できる、中性子標準照射場が不可欠であり、広いエネルギー範囲について一つの施設で系統的に試験できる照射場が求められていました。

数keVから数10keVのエネルギー領域(低keV領域)の単色中性子は、加速器本体のエネルギー調整能力が不足するため安定して発生できませんでした。このため、低keV領域でエネルギー特性を正確に試験できる施設がありませんでした。そこで、日本原子力研究開発機構(以下「原子力機構」という)東海研究開発センター 原子力科学研究所は、上記の課題を新しい技術を開発することにより解決し、放射線標準施設に8 keVから19 MeVまでの5桁に及ぶ広いエネルギー範囲の10エネルギー点の単色中性子を安定して発生することに成功しました。これにより、中性子測定器のエネルギー特性を一つの施設で系統的に決めることができる世界で唯一の単色中性子標準照射場が完成しました。

U.単色中性子標準照射場の概要

開発した単色中性子標準照射場の鳥瞰図を図1に、単色中性子照射室の様子を図2に示します。地下1階に設置された最大電圧4MVのバンデグラフ型加速器を用いて、陽子(1H+)または重陽子(2H+)のイオン(荷電粒子)を加速します。そして、加速した荷電粒子を、1階にある中性子発生用ターゲットに照射します。ターゲットには、スカンジウム(45Sc)、リチウム(7Li)、重水素(2H)またはトリチウム(3H)の4種類を用います。そして、ターゲット、荷電粒子の種類、加速エネルギーを適切に組み合わせることにより、目的とするエネルギーの単色中性子を発生します。中性子エネルギーは、8、27、144、250、565 keV、1.2、2.5、5.0、14.8、19 MeVの10点で、5桁という広いエネルギー範囲をカバーしており、この単色中性子を中性子測定器に照射することにより、エネルギー特性を試験します。

開発した標準照射場では、壁や床のコンクリートによる中性子の散乱を少なくするために、横11.5m×縦16.5m×高12.3mの大きな照射室としました。さらに、1階の床を中性子の散乱が少ないアルミニウム製グレーチング(格子)構造としました。

V. 主な技術開発の概要

単色中性子校正場を完成させるために、次の3つの技術を開発しました。

@低keV領域中性子発生技術の開発

低keV領域(8keV及び27 keV)の単色中性子は、スカンジウムターゲットに陽子を照射することにより発生させます。図3に8keV中性子の発生量の陽子エネルギー依存性を示します。8keV中性子を発生させるには、入射陽子エネルギーを2911±0.5 keV(±0.02%以内)の範囲に調整する必要があります。しかし、加速器本体のエネルギー調整でこれを実現することは困難です。そこで、原子力機構では、ターゲット部分に高電圧を印加することにより、ターゲット入射時の陽子のエネルギーを微調整する技術を新たに開発しました。これにより、世界で初めて、低keV領域の単色中性子を安定して発生することに成功しました。

A中性子エネルギーの高精度測定技術の開発

ターゲットで発生した単色中性子は、完全な単一エネルギーではなく若干のエネルギー拡がりを持っています。このエネルギー拡がりが中性子測定器の試験結果に影響を与える可能性があるため、エネルギーの拡がり幅を測定により正確に評価する必要があります。しかし、これまでは、中性子の発生条件などに起因する複雑な補正が困難であるため、精度良くエネルギー拡がり幅を評価できませんでした。そこで、図4に示すように、ターゲットからの距離が異なる2点の間を中性子が飛ぶ時間を計測して、エネルギー拡がり幅を正確に評価するという新しい手法を開発しました。これにより、エネルギー拡がり幅を正確に評価できるようになり、精度良く測定器のエネルギー特性を試験できるようになりました。

B基準照射量評価技術の開発

標準照射場においては、中性子測定器に照射した中性子の量(フルエンス※8)を正確に知る必要があります。従来のフルエンスの測定に用いられていた測定器は、感度が低いため、精度の良い測定ができませんでした。そこで、感度が高い測定器を新たに設計・製作することにより、フルエンスを精密に評価する手法を開発しました。これにより、正確なエネルギー特性を求めることが可能になりました。

W. 成果の意義

8 keVから19 MeVまでの5桁に及ぶ広いエネルギー範囲で10点(8、 27、 144、 250、 565 keV、 1.2、 2.5、 5.0、 14.8、 19 MeV)の単色中性子標準照射場を完成させました。これらのエネルギー点は、中性子測定器の試験に関する国内外の規格(ISO 8529、IEC61526及びJIS Z4521)が要求するエネルギー特性試験の範囲をすべて満たしています。このような広いエネルギー範囲の単色中性子を、一つの施設で安定して供給できる照射場は、本施設が世界でただ一つのものです。このため、開発した照射場は、世界で最も重要な中性子照射施設の一つであると海外の学術雑誌で評価されています。

開発した標準照射場は、原子力機構の施設供用制度などを通じて、大学・研究機関・民間企業などの国内外の機関に広く公開されています。これにより、中性子測定器の開発や測定の信頼性確保に不可欠な技術的基盤が確立し、今後、国内外における中性子利用の促進に大きく貢献することが期待されます。

図1. 単色中性子標準照射場の配置図

図2. 単色中性子標準照射場における中性子測定器のエネルギー特性試験の様子

図3. スカンジウムターゲットに入射する陽子エネルギーと8keV中性子発生量の関係

図4. 中性子エネルギー拡がり幅の高精度測定法の概念図


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