補足説明資料

研究の背景

近年、ナノスケールの表面形状の変化を観察する手法の必要性が高まっています。低消費電力の高速不揮発メモリ材料として有望な強誘電体の構造相転移や、レーザー加工の初期過程において試料の融解現象に伴う表面形状変化の深さ方向の変位量はナノメートル(100万分の1ミリメートル)の大きさであり、それらの現象を精度良く観察して理解することにより、将来的にはこれらの過程を制御した応用・実用が可能になります。現在、ナノメートルの深さを測定する手段には原子間力顕微鏡や走査型電子顕微鏡などが利用されていますが、どちらも静的な構造を取得するもので、ピコ秒(1兆分の1秒)からナノ秒(10億分の1秒)という短い時間で起こる形状変化を見る手段は今までありませんでした。原子力機構では、2003年に完全な空間コヒーレンスを有する波長13.9nm、パルス時間幅10ピコ秒の軟X線レーザーを実現しており(図1)、このコヒーレント軟X線を用いた物質科学研究や新しい計測手法開拓を続けてきました。軟X線レーザーの干渉性と短パルス性を利用することで、これまでにない深さ方向の分解能の計測を高い時間分解能で実現する可能性には以前から着目していましたが、軟X線領域では使用できる鏡などの光学素子が限られているために、従来の干渉計のように複雑な光学配置をそのまま利用することは出来ませんでした。

図1 ダブルターゲット方式によるフルコヒーレント軟X線レーザーの発生方法と、それによる干渉縞の例(左下)

研究内容

今回、原子力機構、東京大学物性研究所先端分光部門、徳島大学大学院ソシオテクノサイエンス研究部の共同研究チームは、二枚の鏡を微小な角度だけずらす「ダブルロイズ鏡」と呼ばれる光学素子を用いることで、シンプルな光学配置による軟X線レーザー干渉計を新たに開発しました。図2にその光学配置と試料付近の写真を示します。軟X線レーザーは、試料表面の平坦な部分と凹凸のある部分の両方を照らした後、表面の情報を波面に取り込んで反射します。その後、軟X線球面鏡で折り返され、約5メートル離れた検出器により試料表面の像を20倍拡大して検出されます。ここで、球面鏡と検出器の間に、入射角をお互いに0.006度だけずらした2枚の軟X線鏡(ダブルロイズ鏡)を配置します。試料上の平坦な部分から反射した軟X線レーザーは上流側の鏡(第一ロイズ鏡)で、凹凸の部分から反射した軟X線レーザーは下流側の鏡(第二ロイズ鏡)により反射した後、両者を検出器の位置で重ね合わせることで干渉縞を得ます。

図2 実験配置図と試料付近の写真

干渉縞の間隔は、試料の凹凸の深さに応じて変化します。図3(a)のような波面の揃った波が平坦な面で反射する場合には、反射後も波面は揃ったままです。一方、図3(b)のように段差が部分的にある面で反射する場合には、段差で反射する光は段差の深さ分だけ余分に光路長が長くなりますので、その部分のみ波面がずれることになります。次に2つの波が干渉するときの縞の位置を考えます。図3(c)のように波面の揃った波同士が光を計測する面で重なると2つの波の山の部分がぶつかる位置(赤丸で示した所)に縞模様(干渉縞)ができ、その間隔は等間隔になります。それに対して、図3(d)のように一方の波の形が部分的にずれている場合には、2つの波の山の部分がぶつかる位置がその部分だけ異なるために、縞模様の位置が動きます。この縞模様の「ずれ」の量は段差の深さに比例しますので、「ずれ」の大きさから、段差の深さを測ることができます。

図3 干渉縞の間隔が試料の凹凸によって変化する説明

図4は深さ6ナノメートルの溝のペアを加工した試料を用いた軟X線レーザー干渉計の性能評価結果です。参考のために原子間力顕微鏡で測定した例も付け加えています。図4(b)の軟X線レーザー干渉計により得られた干渉縞の中で、矢印で示した部分の干渉縞が右側にずれています。この干渉縞のずれの量が深さ6ナノメートルに相当します。このずれの量は今回使用した検出器上で6〜7ピクセルに相当するので、この装置で1ナノメートルまでの深さが検出できることが確認されました。また、試料表面方向の分解能に関しては、溝のペアの間隔(8ミクロン間隔〜1ミクロン間隔)のうち、1.5ミクロンの溝間隔までが分離できているので、試料表面方向の分解能は1.5ミクロンまで達していることも確認しました。

図4 実験結果:テストパターンの干渉計による観察

この干渉計を用いて、レーザー加工の初期過程、すなわちレーザー照射による試料表面の融解から膨張にいたる様子の観察を行ないました。試料は厚さ100ナノメートルのプラチナで、垂直方向からパルス時間幅100フェムト秒(10兆分の1秒)の赤外線レーザーを照射します。その赤外線レーザーパルスと時間を同期させて、パルス時間幅10ピコ秒の軟X線レーザーで表面の形状を記録していきます。赤外線レーザーの照射ごとにプラチナ表面に微小な穴ができるので、1回ごとに試料位置を少し動かすことで常に平坦な面を赤外線レーザーで照射するようにします。そして軟X線レーザーで試料表面を観察する時刻を変えながら表面形状変化を記録しました。図5にその代表的な時間における表面形状変化の様子を示します。レーザー照射後、約25ピコ秒から表面の変形が始まり、50ピコ秒には明確な膨張が観測されました。そのときの膨張部分のピークの高さは30ナノメートル、周辺付近でも変位量は8ナノメートルに達しています。その後、中心付近がプラズマとなって飛び散ったために穴(クレータ)が形成されたことが分かります。このようにレーザー加工のごく初期過程での金属表面の変化の様子をナノメートルの精度で直接観察した例は今までになく、この新しい計測手法によって始めて可能になりました。

図5 レーザー照射時の試料表面の変形の様子

成果の意義と波及効果

今回の成果は、原子力機構量子ビーム応用研究部門、東大物性研究所先端分光部門、徳島大学ソシオテクノサイエンス研究部の共同チームによって軟X線レーザー干渉計を開発し、試料表面の深さ1ナノメートルまでの微小な凹凸を10ピコ秒の時間分解能で観察することを可能にしたものです。この高い時間分解能と空間分解能を併せ持つ新しい表面観察技術は、レーザー加工の初期過程のより詳細な観察や、次世代の半導体製造プロセスで重要な極端紫外露光用マスクの欠陥検査等の重要な産業応用はもとより、物質の構造相転移ダイナミクスの観察などのような学術的に興味深い現象の観察に役立つ有望な手法といえます。また、現状での深さ方向の分解能は、実験に使用する検出器の分解能(ピクセルサイズ)に依存していますが、将来的に軟X線領域の検出器の性能が向上すれば、深さ方向に0.1ナノメートルの感度、すなわち原子一層分の高低差をピコ秒の分解能で検出することも可能になります。例えば、太陽電池で重要とされる有機薄膜などの高機能薄膜生成におけるテラス構造生成やアイランドの移動等のその場観察など、これまでに観測ができなかったために手付かずのままであった現象の理解が深まり、その制御を可能にしていくと思われます。今回の成果は、このような革新的な表面観察技術開発に向けた第一歩として期待できます。

なお、本研究成果は、米国光学会学会誌「Optics Express」掲載(電子版のみ)に掲載される予定です。


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