補足説明

背景

高エネルギー電子加速器を用いた光源として、これまで蓄積リング型X線光源や自由電子レーザーが開発され利用されてきた。これらの光源利用の高度化(測定の精密化、迅速化など)を一層進めるためには、光源性能の向上(輝度、強度の増大)が必要なことから、既存光源を超える次世代放射光源の開発研究が進められている。日本原子力研究開発機構(JAEA)、高エネルギー加速器研究機構(KEK)を中心にした研究グループでは、エネルギー回収型リニアック(ERL)2)と呼ばれる新型の電子加速器に注目し、これを用いた次世代放射光源の開発を行っている。ERLは、超伝導加速器においてエネルギー回収を行いながら、大電流かつ高品質の電子ビームを連続的に加速できる装置である。

ERLを用いた光源には、大強度赤外自由電子レーザー、高輝度超短パルスX線放射光源、大強度γ線源などがあるが、これら光源の明るさ(輝度)と強さ(強度)を決める重要な技術が、大電流かつ高輝度の電子ビームを発生する電子銃である。電子ビームの品質である輝度は、電子ビームの発散の大きさを示す「エミッタンス」と呼ばれる量で表される。エミッタンスの小さな電子ビームほど高い輝度をもつ。

原理

共同研究グループは、高輝度の(低エミッタンスの)電子ビームを大電流で発生可能な電子銃として、半導体光陰極(フォトカソード)を備えたDC電子銃1)を採用し、その開発を進めてきた。このタイプの電子銃を採用した理由は次の通りである。(1) フォトカソードはレーザーを半導体に照射して光電子を発生するもので、レーザーによりピコ秒の電子パルス列を直接生成し超伝導加速器へ入射できる。同時に低エミッタンス電子ビームの生成にも適している。(2) 容易に連続波運転を行うことができ、またDC電源の容量を大きくすることで大電流にも対応可能である。

図1に開発したフォトカソードDC電子銃の構成を示す。空間電荷効果3)による電子ビームエミッタンスの増大を抑止するためには、電子を高電界、高電圧で引き出す、すなわち、カソードとアノードの間隔を短くする必要がある。このような理由により、絶縁セラミック管を貫通するサポートロッドを使ってカソードを真空チェンバーの中央に設置している。サポートロッドはフォトカソードDC電子銃に特有の構造であり、一般的なDC加速管(イオン加速器など)には存在しない。

次世代放射光源が要求する高品質電子ビームを得るには500kVの電子銃電圧が必要とされる。しかし、これまでのフォトカソードDC電子銃研究では、350kVの運転実績(米国ジェファーソン研)が最大電圧であった。フォトカソード電子銃の高電圧化を阻む最大の障害は、サポートロッドからの電界放出電子4)がセラミック管を破損5)する現象である。図2(左)に示すように、従来型のセラミック管ではサポートロッドから放出された電子がセラミック管の内表面に直接到達する。この時、局所的に電子が集中すると放電によってセラミックが割れる(クラック)または貫通孔が開く(パンチスルー)事故によりセラミック管が使用不能になってしまうことから、500kVの電圧を印加できなかった。

共同研究グループでは、この問題を解決するためには電界放出電子がセラミック管に当たらないようにすることが最も効果的な方法であろうと考え、議論と検討の結果、ガードリング付きの分割セラミック管を採用し、最適設計を行った。このような構造を用いることにより、サポートロッドからの電界放出電子がセラミック管に到達することがなくなる(図2(右)、図3)。設計では、500kVの電圧を印加した時に、サポートロッドとガードリングの表面電界が10MV/m以下になるように、セラミックの口径、長さ、分割数、ガードリングの形状を決定した。また、サポートロッド、ガードリングなどの材料には高電圧に対する耐性の高いチタンを採用した。なお、過去に同様の分割セラミック管がJAEAのFEL用熱陰極電子銃(250kV)、名古屋大学の偏極電子源(200kV)に採用され、良好な実績があったことも、本方式を採用した根拠のひとつであった。図4に今回製作した分割セラミック管を示す。

図1: 500 kV フォトカソード電子銃の構成

図2: 従来方式では電界放出電子によるセラミック管の破損が問題であった。本研究では、分割型セラミック管とガードリングを採用し、電界放出電子によるセラミックの破損を解決した。

図3: ガードリングにより、電界放出電子がセラミック管に衝突することを防ぐ。

図4: 据えつけられた分割型セラミック管の様子。

実験

製作した分割セラミック管にガードリングを装着し、サポートロッドを取り付けた後、高電圧印加試験を行った。累計110時間のコンディショニング6)(電圧を上昇しながら電極表面の微小突起、付着した異物を焼き飛ばす作業)を行った。図5に550kVまでのコンディショニングの履歴を示す。約110時間のコンディショニング作業を経て、DC電源の最大電圧550kVまでの電圧印加を完了した。

引き続いて、光源のユーザー運転を想定した長時間運転試験を行った。長時間試験では、500kVの電圧をセラミック管の両端に印加した状態で、8時間の保持を行った。図6に長時間試験のデータを示す。電圧保持中の放射線発生量は自然放射能のバックグラウンドと同程度であり、また、真空の劣化も見られなかった。このことから、電極からの電界放出による暗電流は極めて小さく、500kVの電圧を安定に印加できることが確認された。

図5: 550 kVまでの高電圧コンディショニングの履歴。

図6:長時間連続の電圧印加試験。

意義・展望

エネルギー回収型リニアック(ERL)は、日本の共同研究グループ以外では、米国(ジェファーソン研究所、コーネル大学、ブルックヘブン研究所)、英国(ダレスベリー研究所)、ドイツ(ベルリン・ヘルムホルツ研究所)、中国(北京大学)などで、次世代X線放射光源、自由電子レーザーなどの目的で研究が進められている。日本原子力研究開発機構では放射性廃棄物や使用済原子炉燃料に含まれる放射性核種・核燃料物質を非破壊で測定可能な大強度γ線光源として、ERL技術の利用を提案している。また、高エネルギー加速器研究機構では、結晶化が困難なタンパクの構造解析や化学反応の時間変化観測などに有用なERL型次世代X線放射光源を将来計画として掲げている。これらの光源を実現するには、高品質の電子ビームを大電流で発生可能な500kV以上の電圧を持ったフォトカソードDC電子銃が必須の技術である。

世界のERL計画が立ち上がった2002年ごろから現在にいたるまで、ERL放射光源の成否を握る重要な要素として電子銃の研究開発が世界中の研究所で精力的に進められてきた。しかしながら、フォトカソードDC電子銃で500kVの電圧を達成するのは容易でなく、これまでさまざまな失敗が繰り返されてきた。今回、共同研究グループが、世界で初めてフォトカソードDC電子銃において500kVの安定な電圧印加に成功したことで、ERL型次世代放射光源の実現に大きく近づいたといえる。

共同研究グループでは、ERL型次世代放射光源の実現を目指して、今回の電子銃を含めたERL装置の要素技術の完成と総合的な運転実証に向けて、さらに力を合わせて取り組んでいく。


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