補足説明資料

1.研究の背景及び経緯

現在、市販されているシクラメンの園芸品種は、1700年頃に原種が西ヨーロッパに導入されて以来、品種改良と栽培方法の改善により重要な鉢花に発展してきました。日本では1899年ころに栽培が始まり、2008(平成20)年には、全国で2,180万鉢が生産されるようになりました。そのうち埼玉県では100万鉢が生産され、主要な生産県となっています。

シクラメンは花の色、形、大きさを主眼にして品種改良が行われてきましたが、花の香りの改良は行われてきませんでした。そこで、埼玉県農林総合研究センター(埼玉農総研)は園芸品種の花の香りを改良するために、1987(昭和62)年、園芸品種と芳香性野生種の交配を開始し、現在までに3品種(‘麗しの香り’、‘孤高の香り’、‘香りの舞い’)を育成しました。これらの品種から芳香性野生種と同様にバラ、スズラン、ヒアシンスに特有な成分が検出され、園芸品種に比較して香りの質は改善されました。現在、「芳香シクラメン」として県内農家により生産・販売されています。

図1 芳香シクラメン品種

以上のように、芳香シクラメンは園芸品種に比較して香りの質は改善されましたが、花の色が少ないため、改良が必要です。近年、イオンビームは効率良く突然変異を誘発し、新しい遺伝資源の創出に有用であることが示されています。そこで、埼玉農総研と日本原子力研究開発機構(原子力機構)は、芳香シクラメンにイオンビームを照射し、新規の花色をもつ突然変異体の育成を目指し、平成14年から共同研究を開始しました。

2.研究内容

図2に示すように、‘香りの舞い’は、生体内の色素合成の結果、アントシアニン4)の1種であるマルビジンという紫色の色素をもっています。マルビジンはアミノ酸からたくさんの変換を受けてつくられます。もしかりに、イオンビームによって@の変換を止めてやることができれば、デルフィニジンという色素が最終産物となります。'青いバラ'ではデルフィニジンによって青色が発色していることから、デルフィニジンが蓄積することで青紫色のシクラメンができると期待しました。また、Aの変換を止めれば、無色のフラボノイドが蓄積して白色になり、Bの変換を止めれば黄色色素のカルコンが蓄積して黄色になると予測しました。そこで、芳香シクラメン品種‘香りの舞い’に、イオンビーム照射を行うこととしました。‘香りの舞い’の種子を無菌的に人工培地上に播いて発芽させました。発芽した苗の葉を細断し、約1500の葉片を培地上に置き、炭素イオンビームを用いて、突然変異体を誘発するのに最適な線量を選び、照射を行いました。イオンビームを照射した葉片から培養により植物体を再生させ、その中から9個体の花の色が変わった変異体を選抜しました。これらの変異体は、花の形、大きさ、香りは変化していませんでしたが、花の色は予測に反して赤紫色でした。

図2 芳香シクラメン‘香りの舞い’の細胞におけるアントシアニン色素

図3 芳香シクラメン‘香りの舞い’へのイオンビーム照射による変異体の作出

そこで、赤紫色の正体を解明するために、農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)の花き研究所で高速液体クロマトグラフィー(HPLC5))を使って分析した結果、変異体ではデルフィニジンが蓄積していました。イオンビームによって@の変換を止めることに成功したことが解りました。デルフィニジンは、青い色素と思われていますが、実際には様々な条件が加わることで青色だけでなく、紫色や赤色の発色を行うことが、最近の研究で明らかになりつつあります。シクラメンの場合は、赤紫色を示すことがこの研究によって初めて明らかになりました。なお、正確には、これらのアントシアニンは化学構造の3位と5位という場所に2つのグルコースという糖が結合した、マルビジン3,5dGおよびデルフィニジン3,5dGという形でシクラメンの花に存在しています。

図4 高速液体クロマトグラフィーによる芳香シクラメン‘香りの舞い’とその変異品種の色素分析

3.成果の意義

これまでに、デルフィニジンを主要色素とするシクラメンの園芸品種および野生種は報告されていないことから、シクラメン属でも初めての色素であることがわかりました。また、イオンビームは、交配などの方法では得られなかった色素を創出したことから、有益な品種改良の方法であると言えます。

本品種は、新品種として生産販売する予定です。また、本品種は、他のシクラメンとの交雑による本色素の導入が可能であり、さらには、この品種に突然変異をもう一度起こして他の色素との共存状態やpHを変化させることによって、青色のシクラメンを作出することも夢ではなく、新しい遺伝資源として極めて有用なものです。


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