補足説明

【背景】

宇宙には氷が至るところに存在し、その多くが結晶構造を持つことが分かっています。例えば太陽系の惑星、衛星の中には結晶の氷が主たる構成物質であると考えられているものもあります。そのような氷が、地球上で通常我々が目にするものと同じであるかどうかは、惑星の形成や生命の発生の謎とも関わる重要な問題です。

水分子H2Oは2個の水素原子Hと1個の酸素原子Oで構成されています。図1(a)は、地球上で見られる普通の氷の結晶構造(氷Ih(コオリイチエイチ))です。酸素原子と水素原子の位置がそれぞれ水色と赤色で示されています。2つの酸素原子を結ぶ直線上に水素位置を示す赤丸が2つずつ描かれていますが、実際の氷Ihの結晶中では、水素はこの2つの位置のどちらかに各々1/2の確率で存在します。この状態を水素原子の無秩序配置といいます。

これに対して、氷XI (コオリジュウイチ)と呼ばれるものの結晶構造が図1(b) です。この場合、酸素原子は氷Ihと同様の配置をとりますが、赤色で示した水素原子は酸素原子間の1つの位置のみに存在しています。この状態を水素原子の秩序配置といいます。図中で上下方向の水素と酸素の並びに着目すると、水素原子は必ず対応する酸素原子の上側に存在し、下側には存在しないことがわかります。水素原子はプラスの電荷を持つので、結晶全体として電気的にプラスとマイナスに偏る(分極する)することになります。このような水素の配置が揃って強誘電体となった氷XIについては、その存在の有無をめぐって多くの議論がなされてきました。

原子力機構では、茨城県東海村の研究用原子炉JRR-3ならびに日米協力事業「中性子散乱」に基づきオークリッジ国立研究所(米国テネシー州)の原子炉HFIRに設置された実験装置を用いて、氷の詳細な構造を解明する研究を推進してきました。中性子回折実験を行うことによって、X線では困難な水素の位置に関する正確な情報を得ることができます。その結果、反応時間短縮のため触媒として僅かに水酸化カリウムを添加した氷が、天王星、海王星、冥王星等に相当する低温条件下(約マイナス200℃)で、氷Ihから氷XIに変化していくことを実験的に明らかにしました。この実験結果をもとに、そのような強誘電体の氷が宇宙にも存在するはずであるとの仮説を提案し発表しました。(Fukazawa et al., Astrophysical Journal Letters 2006: 平成18年12月22日原子力機構プレス発表)。この提案は、天文学の分野はもとより、新聞、テレビで報道されるなどして一般にも関心が広がりましたが、宇宙の氷に対して中性子実験を行うことはできず、どのようにしてこの仮説を実証するのか、その具体的な方向性は明確ではありませんでした。

図1 普通の氷(a)と強誘電体の氷XI(b)の結晶構造。

【研究の内容】

宇宙探査においては、天体望遠鏡や宇宙船探査機による赤外線観測が有力な研究手段として用いられています。したがって、実験室で氷の赤外スペクトルを測定し、通常の氷(氷Ih)と強誘電体氷(氷XI)で明瞭な違いを見出すことができれば、赤外線観測による宇宙探査に対して重要な指針を与えることになります。この考えに基づき我々は準備を重ね、実験室で作製した氷XIの赤外吸収スペクトルを測定することに、今回初めて成功しました。

測定は、東京大学大学院理学系研究科地殻化学実験施設所有のフーリエ変換赤外分光光度計(Spectrum2000, PerkinElmer社製)に冷凍機を搭載して行いました(図2)。氷は、赤外吸収がきわめて強く、実験室の赤外線を用いて正確なスペクトルを得るためには試料を薄くする必要があります。今回の測定では、気相成長法で合成した直径5mmのダイヤモンド2個に挟み込んだ厚さ2μm程度の非常に薄い氷を作製し、その赤外吸収スペクトルを得ました。図3に得られたスペクトル中の波数850 cm-1(波長11.7μm)付近に観測されるピーク(水分子の回転に由来)の温度変化を示します。通常の氷が存在する温度マイナス113℃と比較して、マイナス173℃以下の温度では、ピークの幅が明瞭に鋭くなっていることが判ります。これは、この温度領域で強誘電体氷が生成したことに対応します。普通の氷では温度を下げてもピークの幅は鋭くなりません。このピーク幅の変化から、氷XIの生成量を温度に対してプロットしたものが図4で、冥王星を始めとする太陽系外縁部に存在する天体群の温度に対応する温度領域(−200℃以下)で強誘電体氷が多く存在することを示しています。冥王星は、図5に示すように、その大部分が氷でできているとされていますが、それらが強誘電体氷である可能性があります。今回の測定で明らかになった850 cm-1(11.7μm)付近のピークに着目して、天体望遠鏡や宇宙船探査機による赤外線観測を行うことにより、宇宙における強誘電体氷の存在を直接検証することができると期待されます。

図2 氷XIの赤外吸収スペクトルの測定に用いた装置。          図3 氷XIの赤外吸収スペクトル。
図4 氷XIが生成可能な温度          図5 冥王星に存在が予測される強誘電体の氷XI

【成果の波及効果】

普通の氷は電気的に中性ですが、強誘電体の氷は静電力を持ちます。宇宙で粒子が凝集して惑星が形成される過程において、惑星の元となる塵の中に数μm程度の氷が多く出来ます。もしこれが強誘電体であれば、様々なイオンを呼び寄せたり、氷同士が引き寄せあって合体成長したりすることが可能となり、重力のみの力で凝集が起こる場合に比べて、より大きな天体がより早く形成できることになります。また、同じ理由から、生命の起源物質が発生する確率も強誘電体氷の上では高くなるかもしれません。このように、宇宙に強誘電体氷が存在するかどうかは、惑星、生命、物質の形成シナリオに決定的な影響を与える基本的かつ重要な問題と言えます。

大強度陽子加速施設(J-PARC)の施設共用が昨年から開始され、より強い中性子ビームを用いた研究が始まっています。我々は、J-PARCにおいて、強誘電体氷の生成割合と赤外スペクトル変化の関係の定量化など、さらに踏み込んだ実験を予定しており、実験と観測の双方から宇宙での強誘電体氷の存在を検証することで、従来から謎の惑星はなぜ素早く誕生したのかといった宇宙進化の研究がより進展することが期待されます。


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