補足説明

背景:

現代の物理学において、固体中で自由に動くことのできる互いに相互作用が無い自由電子の振る舞いは、理論的・実験的に良く理解されていますが、多くの電子が互いに強く相互作用した場合の集団的振る舞いについては、理論的な扱いが困難になり、良く理解されていません。そのような強い電子間相互作用を持つ物質の代表例が銅(Cu)やニッケル(Ni)などの酸化物である遷移金属酸化物5)です。遷移金属酸化物は、電子がお互いに強い相互作用(クーロン斥力)を及ぼして避けあうことで身動きが取れなくなり絶縁体になっています。そこから電子の一部を抜き取って穴をあける(ホールを導入する)、または、さらに動くことができる電子を余剰に導入することができます。ホールや余剰な電子を導入することをドープと言いますが、ドープされた遷移金属酸化物は多種多様で有用な性質を示す物質の宝庫です。例として高温超伝導6)を示す銅酸化物や、巨大磁気抵抗効果7)を示すマンガン酸化物などがあります。

図1:銅酸化物を例としたドープされた遷移金属酸化物

ドープされた遷移金属酸化物では、電子が強い相互作用を及ぼしあうことにより空間的な周期性を持って整列(秩序化)することがしばしば見られますが、この整列した状態は多彩な物性と密接に関係していることが知られています。何らかの方法、例えばX線を使って整列した電子をそろえて揺さぶる(励起する)と、電子を整列させようとする具合である相互作用が見えてくるはずです。従って、電子の集団的揺らぎ(集団励起)を調べることはドープされた遷移金属酸化物における様々な物性を理解する上で極めて重要なのですが、残念ながら、これまではこの電子の集団励起を直接観測するための実験手段がなく、物理学全般において電子の集団励起の研究は未踏の領域となっていました。

本研究では、大型放射光施設SPring-8に設置された装置と、米国の同様の施設であるAdvanced Photon Source (APS)に設置された装置の2台を駆使し、共鳴X線非弾性散乱という手法を用いて研究を行いました。対象とした物質は銅酸化物で高温超伝導体でもあるLa2-xBaxCuO4、及び、超伝導は示さないが同じ結晶構造を持った関連物質のニッケル酸化物La2-xSrxNiO4です。両物質とも、電子は縞状に整列することがわかっています。これらの物質を測定したところ、縞状に並んだ電子の集団励起の観測に世界で初めて成功し、電子が集団として縞状の空間的周期性を保ちながら時間的に揺らいでいる様子を明らかにしました。

実験:

共鳴非弾性X線散乱実験

放射光X線は物質中の電子の運動状態(運動量とエネルギー)を調べるのに、極めて強力なプローブであり、その非弾性散乱実験は、試料に入射するX線と試料から散乱されるX線の運動量とエネルギーの差を測定する方法です。X線による電子の励起は本来非常に弱い散乱強度を持つため、通常の非弾性散乱実験では観測することが不可能ですが、X線のエネルギーを内殻電子準位にあわせた共鳴条件で測定、すなわち、共鳴非弾性X線散乱を行うと強度を大きく増幅して観測することが可能になります。さらに内殻電子準位は元素ごとに固有の値を持つことから、結晶全体のうち、縞状に電子が整列する銅(ニッケル)−酸素二次元シート構造の電子の集団的揺らぎを選択的に研究することができます。今回の物質のように電子が縞状に並んでいる場合には、その周期が運動量の変化に対応します。

図2: 共鳴非弾性X線散乱実験の概略

縞状に整列した電子の集団揺らぎを探る

まず、大型放射光施設SPring-8において、La15/8Ba1/8CuO4の単結晶試料を用いて共鳴非弾性X線散乱実験を行いました。その結果、縞状に整列した電子の周期構造と一致した運動量変化(Qs)でのみ、およそ1 eVに電子の集団励起による散乱強度が観測されました。さらに、米国のアルゴンヌ国立研究所にある放射光施設Advanced Photon Sourceで、縞状に整列した電子の周期が銅酸化物とは異なるニッケル酸化物La5/3Sr1/3NiO4についても実験を行い、同様の電子の集団励起による散乱強度がやはりQsで観測できました。これらの結果は、縞状に整列した電子に普遍的な集団的揺らぎを示すものであると考えられます。

図3: 縞状に整列した電子の周期構造に対応する運動量変化(Q s)で測定した共鳴非弾性X線散乱スペクトル(青のデータ)と電子の周期構造と無関係な運動量変化で測定した共鳴非弾性X線散乱スペクトル(赤のデータ)の比較

研究の波及効果:

本研究は、ドープされた遷移金属酸化物において、相互作用により整列した電子の集団励起を世界で初めて観測した例です。これまで未踏の領域であった電子の集団励起の研究が可能であることを示したもので、今後放射光施設の高輝度化や分光器の高度化に伴い加速して行くであろう新研究領域の指針となると考えられます。

銅酸化物高温超伝導においては、縞状に整列した電子が集団的に揺らぐことで結晶の中に生じる電子の波が超伝導に関与しているとするモデルが考えられています。本研究は電子の集団励起(集団的揺らぎ)を観測した第一歩ですが、今後、高温超伝導体における電子の集団励起の性質を詳細に調べれば、このモデルの検証になると期待されます。

今後の研究課題:

今回は縞状に整列した電子の周期構造に対応する運動量Qsで集団励起を観測しましたが、電子に働く相互作用を知るためには、物質中での揺らぎの伝わり方を解明する必要があります。そのためには、装置を高度化し、より高いエネルギー・運動量分解能での測定をすることが必要です。特にこの点は、高温超伝導との関係を知る上で重要です。

また、ドープされた遷移金属酸化物には縞状だけでなく、市松模様状に電子が整列する物質もあります。これらの物質もふくめて系統的な測定を行っていくことで、電子の集団励起という新たな研究分野の発展が期待されます。

研究の役割分担、実験施設利用、資金援助について:

今回、独立行政法人日本原子力研究開発機構(以下、原子力機構)量子ビーム応用研究部門と国立大学法人東北大学(以下、東北大)が共同で単結晶試料作成を、また、原子力機構、東北大、アルゴンヌ国立研究所が共同で放射光実験を行いました。

銅酸化物の実験は、東北大から申請された原子力機構の施設共用課題としてSPring-8の原子力機構専用ビームラインBL11XUで行いました。ニッケル酸化物の実験は、原子力機構がアルゴンヌ国立研究所Advanced Photon Sourceの公募に申請し、採択された課題としてビームライン30IDで行いました。

本研究は文部科学省科学研究費補助金特定領域研究「異常量子物質の創製−新しい物理を生む新物質−」による援助を受けて行われました。


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