補足説明資料

研究の背景

超高強度極短パルスレーザー装置(用語解説3参照)からのレーザーパルス光を、金属や高分子などを材料とする薄膜ターゲットに照射することにより陽子線が発生することは、従来から広く知られている。このレーザー駆動陽子線は従来の加速器(用語解説4参照)に比べ、装置の小型化が可能である。とりわけ陽子線発生部、伝送部、照射部を最小化することにより放射線管理の必要な部分を著しく小型化することが可能であり、安全管理が容易になると期待されている。また、得られる陽子線の時間幅は発生時では約1ピコ秒(1兆分の1秒)と従来のものに比べ著しく短い。陽子線発生源は微小で、ほぼ点源とみなせる。陽子線はそこから高い直進性を有し伝搬するという特徴を持つため、新しいタイプの産業利用、医療応用(用語解説5参照)が期待されている。加速器として実用化する際は、より小型のレーザー装置を用いて、より強い、より速い繰り返しで陽子線を発生することが必要とされている。

より強い陽子線を得るためには、ターゲットに照射するレーザーエネルギーを大きくすると、それに伴って著しく強い陽子線が得られることが知られている。例えば今回用いたレーザーエネルギーの数百倍のエネルギーを出すことができる体育館サイズの大型レーザー装置を用い、変換効率約10%が得られている。このような優れた原理実証実験を基にして、実用的レーザー加速器を開発するためには、繰り返し運転が容易な小型のレーザー装置を用いて、より高いエネルギー、高い効率の陽子線を得る必要がある。

研究の内容と意義

今回、独立行政法人日本原子力研究開発機構(以下、「原子力機構」と言う)、大韓民国 光州科学技術院 高等光技術研究所(Gwangju Institute of Science and Technology、Advanced Photonics Research Institute、以下、「GIST/APRI」と言う)、(財)電力中央研究所、大阪大学レーザーエネルギー学研究センターの共同研究グループは、小型の超高強度短パルスレーザーを厚さ7.5ミクロン(1ミクロンは100万分の1メートル)程度の比較的厚い絶縁体薄膜に集光照射することによって、陽子線を効率よく発生、加速させ、強い陽子線を得ることに成功した。

この成果を生み出した要因は大きく分けて二つある。まず第一番目の要因として、次のことがあげられる。すなわち、レーザー駆動陽子線の効率のよい発生には、主レーザー光に先立つレーザーの背景光成分が鍵を握ることが分かっている。このレーザーの背景光成分が高すぎると、主レーザー光がターゲットに照射される前にターゲット中に誘起される衝撃波によりターゲットが破壊されてしまうことが知られている。我々は、超高強度極短パルスレーザーの背景光の強度をこのようなことが起こらない程度にまで抑え、レーザー照射実験を行った。

第二番目の要因は次のとおりである。ターゲットは、厚さ7.5ミクロンの絶縁体のポリイミドを用いた。ポリイミドは常温では、それ自体が壊れにくい物質であり、かつ、厚さ7.5ミクロンという比較的扱いやすい厚さであることから、テープターゲット(用語解説6参照)により数千回以上の繰り返しターゲットの連続供給に成功している。また、ポリイミドはレーザー光に対して透明なので、レーザー光の強度が、ある一定以上になるまでは、レーザー光の吸収が起こらないと考えられるため、レーザー光の背景光成分を、実効的に低くできるという効果が期待できる。また、金属薄膜を用いた場合、レーザー駆動陽子線の供給源は、ターゲット表面に吸着した炭化水素や水分中の水素であるが、ポリイミドは、それ自体の内部に水素を大量かつ均一に含有するために、より多くの水素の供給が見込める。

実験では、大韓民国 光州科学技術院 高等光技術研究所の小型チタンサファイアレーザー装置(用語解説7参照)によるレーザーをピーク出力50テラワット(テラ=10の12乗=1兆)、パルス幅34フェムト秒(フェムト=10の15乗分の1=1千兆分の1)で、絶縁体薄膜(ポリイミド)のテープターゲットに集光することにより、最高エネルギー〜400万電子ボルト(4メガエレクトロンボルト)を持つ陽子線を繰り返し1ヘルツ(1秒間に1回)程度で発生した。このようにして、照射されたレーザーエネルギーから生成、加速された陽子線へのエネルギー変換効率は〜3%に達した。これは、今までに世界各国で行われた小型レーザー装置を使った実験結果の中で最大値である(用語解説8参照)。このときピーク電流値は30万アンペアに相当する。数百万電子ボルト級のエネルギー領域におけるこのような高ピーク電流の陽子線は、従来の加速器で実現されている値(〜1ミリアンペア(ミリ:1000分の1))に比べて何桁も大きい。

成果の波及効果

本陽子線生成システムは、レーザー加速器開発にとって、小型のレーザー装置を用いて、効率よく陽子線を生成することができる、ということを示した点が画期的であると考えている。

数百万電子ボルトのエネルギー領域で、既存の加速器では生成することのできない高強度の陽子線を供給できるという特徴を有している。またレーザー駆動陽子線の特徴である、直進性のよさも兼ね備えている。このような効率の高い陽子線発生及び加速の実現は、将来のがん治療へのレーザー駆動陽子線の応用に大きく貢献する。すなわち、レーザーから陽子線へのエネルギー変換効率が向上したことにより、レーザー装置単体に要求される開発目標値(エネルギー、繰り返しショット数)を下げることができ、レーザー駆動陽子線加速器の実現へ向け大きく前進することができるからである。例えば陽子線がん治療へのレーザー駆動陽子線の適用を考えた場合、今回の実験で得られた変換効率3%という値は、治療で想定されるレーザー1照射あたりの陽子の個数に関して十分な値となっている(用語解説9参照)。レーザーパルス光の背景光成分を極めて精密に制御し、ターゲットを工夫した、世界各国で行われた小型レーザー装置を使った先駆的な実験結果と比べても、今回の実験で得られた変換効率は3倍から10倍となっており、我々は画期的だと考えている。また、同時に薄層放射化(用語解説10参照)や陽子線ラジオグラフィー(用語解説11参照)等産業利用の現場への供給も期待できる。

今後の課題

今回強い陽子線を繰り返し発生するのに成功したのは、最大で〜400万電子ボルトのエネルギーをもつ陽子線であった。将来のがん治療などの医学応用に向けて、今回得られた高いエネルギー変換効率をさらに高め、かつがん治療に有効な1億電子ボルト級のエネルギーをもつ陽子線の発生を目指して研究開発を進める所存である。

また日韓中の科学技術協力事業の成果は単に研究成果に留まらない。研究者レベルでの自発的情報交換や日常的協力関係もできつつある。さらなる緊密な連携関係を築きあげ、科学技術協力の発展に貢献する所存である。

なお、本研究成果の一部は、米国物理学会誌 Physics of Plasmas(issue 5, Vol. 15, Mamiko Nishiuchi et al., “Efficient production of collimated MeV proton beam from a Polyimide target driven by an intense femto-second laser pulse”)に掲載される予定である。


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